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「今なら中学受験に参戦する?」――この答えが最近出た

最近わかったことがある。
今は高校生になった娘の中学受験に私がなぜ参戦したのか、ということだ。
小3の11月、よくわからないままに塾のテストを受けさせた。

まあウチの子、学校の成績は悪くないし、周りも中学受験をする子が多いからやってみようかしら、
高学年になって受験したいなんて言い出すくらいなら、カリキュラムの最初の新小4(小3の2月)に始めておくのがいいだろう、
くらいの気持ちで。

入塾後は、成績の乱高下に私の心も乱れまくったし、塾に対する不信感が生まれ転塾もしたし、子の睡眠不足にはずっと罪悪感を持ち続けていたし、
いざ受験となれば
中学受験を「子どもが傷ついて終わる受験」にしないために|キヨ絵ライター (note.com)
に書いたようにギリギリまで子どもを追い込んでしまった感もある。

さらに中学に入ったらコロナとの相乗効果で子どものメンタルがやられ、その原因は中学受験と親子関係にもあることを思い知らされたし、
「それでも受験してよかった」なんてにっこりできる心境では到底ない。

その後も中学受験にまつわる話を聞いたり本を読んだりするにつけ、必ずしも幸せでない状況を多々生み出していることを知った。
もう一人の娘が中学受験をせず、公立中からの高校受験コースで無理せず楽しくやっていることも私の心を揺さぶる要因になっている。

あの時、私はなぜ中受に参戦してしまったのか。
今だったらもう少し冷静に判断し、やらないという選択肢をとれたのではないか、と何度も考えた。
それで最近、結論チックなものにたどりついた。
おそらく参戦しただろう、と。

団塊ジュニア世代の私は常に競争にさらされ、生きてきた。
そこにチャンスがあるなら挑戦する。
これがマインドに組み込まれてしまっていると感じる。
冷静に考えたらやめておくと判断したかもしれない無謀で確率の低いことも、挑戦したことで手に入れたことはいくつも思い浮かぶ。
高校の部活選び、大学選び、大学の研究室選び、就職活動、退職時期、親子留学……
「やめておいたほうがいい」と家族や友人や同僚や上司から一度は物言いがついたがなんだかんだと決行し、結果的にやってよかったと思うことは多い。

そんな経験が積もり積もって、未知のハードルの高そうな、なんだかおもしろそうなことに向かっていくタイプが出来上がった。
中学受験はまさにそれだ。
地方出身の私にとって未知の、希望と可能性にあふれた、東京に住んだからこそ出会えたチャンス。

私に欠けていた視点は、中学受験をするのは私でなく、子どもだということだ。
自分はコントロールできても、子どもという他者はコントロールできない。そこを理解していなかったことがムダに苦しみ苦しませることになった原因で、おおいなる反省点である。
けど、その時点で気づけたかどうか…。
やっぱり参戦したから気づけたんだろうなと思うのだ。

やってみなければわからない。
失敗を恐れていては何もできない。
やってみてダメなら進路変更すればいい。
尻込みするより前進せよの精神でこれからも行くのだと思う。

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