夜明けのキウイ

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    読んだ本と、本を読んで書いたエッセイと。

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夏休みにはタッチをみていた

 小2の上の子が夏休みに入るにあたり、「こどものころ なつやすみで いちばんたのしかったことは?」と質問してきた。  期待に満ちた目で質問されたけど、そのとき私の頭に思い浮かんだのは、クーラーの効いた部屋でもう何度観たかしれない「タッチ」の再放送をだらだらと見続ける自分の姿だ。その時に食べていた、母親のつくった抹茶アイスの舌触りまで蘇った。手作りのアイスは中身が均等に凍らず、冷凍時に下を向いている部分、つまり食べるときには真っ先に食べる部分の濃度が濃くなるから、アイスの先っ

    • 布団の中の靴下

      昨日からこどもたちが新学期で、ひさしぶりに二人まとめて送り出したあと、お迎えまでの短い時間に詰め込んだ用事を片付けるお供にラジオをつけた。どうでもいいことだけど、ラジオを「つける」という言い方はまだ有効なのだろうか。スマホで聞く場合の「つける」に代わる言い方がわからない。 話がそれた。 年末年始はテレビやラジオが特別編成になりがちで、その「いつもとちがう感」が苦手な私は、年末は好きなラジオの過去回などを聞いていた。例年なら、成人の日が過ぎたころから通常モードになっていくとこ

      • 【本とエッセイ#2】「しあわせですか」という問い   読んだ本:永井みみ著『ミシンと金魚』

        先日、義母の通院に付き添ったときのこと。 私と一緒に義母の着替えや車椅子から診察台に移譲するのを手伝ってくれていた看護師から、不意に「介護職の方ですか?」と聞かれた。咄嗟に、「いえ、家族の者です。ヨメです。」と答え、「8年ぐらい在宅でみています」とつけ加えた。厳密には在宅介護生活を始める前に、仕事ではないが介護に携わっていたことがあるし、ごく短い期間だったが訪問介護の仕事をしていたこともある。でもべつに、ここで履歴書のような答えを求められているわけではないだろうし、だいたい自

        • あの紐の名前は何ていうんでしょう。

           カーエアコンが壊れた。  少し前から不穏な音がしていたのを、ごまかしごまかしきていたのだけど、いよいよ無視できないということで車屋で見てもらったら修理が必要だという。しかも、修理ができるのは早くとも2週間後で、それまでの間今のままエアコンを使い続けると修理の規模も費用も膨らみ続けるとのことで、強制的にエアコンを使えないようにしてある。ということで、今、エンジンをかけても、吹き出し口からは外気にしこたま温められた熱風が吐き出されるだけだ。  こうなると、極力車に乗る機会を

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          2本

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          靴音と空のティッシュ箱

          こどものころ、靴音を聞くのが好きだった。 ハイヒールで歩く音が好き、というのは、それほどめずらしいことではないかもしれない。でもそれが、細めのヒールよりは少し太めのヒールのくぐもった音の方が良いとか、革靴で細かい砂利を踏むときの音がたまらないとか、厚めのソールのスニーカーでかかとからアスファルトに着地するときの音を聞き逃したくない、となると、話は変わってくる。 マニアックな趣味を持つもの同士でも、つながろうと思えばつながることのできる今とは違って、90年代の小学生にとってそ

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          かわらないかわらなさ

           4年前から、「5年日記」を書いている。  手元にあるそれをパラパラと開くと、1年目はこつこつと毎日書いている。2年目も、まあまあ。3年目でわかりやすく中だるみし、空白が目立つ。そして4年目でこれまたわかりやすく奮起してがんばって書いている。とりあえずの最終年にあたる今年は、今のところ毎日何がしか書きつけている。  といっても、毎日こまめに書いているのではなく、10日分ぐらいをいっぺんに書く、ということはしょっちゅうだ。10日前に何をしたり、何を感じたり、何を考えていたかなん

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          【本とエッセイ#1】8年目の変化      読んだ本:『ユマニチュード 認知症ケア最前線』

           この4月で、義母の在宅介護を始めて丸8年になる。それなりに長い時間、在宅介護をしていることになるが、このタイミングで、「ユマニチュード」についての本を手にとった。  「ユマニチュード」というのはフランス発祥の認知症ケアの技法のことで、「人間らしさを取り戻す」という意味の造語だそうだ。そういうケアの技法があるらしい、というのは前から見聞きしていて気にはなっていたのだけど、がっぷり取り組んではこなかった。単純に、ここ数年は乳幼児の育児と介護の同時進行で余裕がなかったということも

          【本とエッセイ#1】8年目の変化      読んだ本:『ユマニチュード 認知症ケア最前線』

          文房具ストーカー

           いつも持っているペンがある。  外出するときに持ち歩くバッグは、小さいものか大きいものかの二択で、荷物の量によってどちらかを使うわけだが、バッグを替えるごとにそのペンも入れ替える。家で書きものをするときにも同じペンを使うので、家の中を移動するときも、部屋から部屋へ、ペンとともに移動している。  そのペンは、特に高価なものというわけではなく、どこにでもあるペンで、赤・青・緑・黒のボールペンとシャーペンが一体化しているやつだ。いつも食材を買いに行くスーパーの、ちょっとした文房

          文房具ストーカー

          トングの可能性

          トングが折れた。 私などがわざわざ言わなくても、もう既に、誰かが二億回ぐらい指摘していることだと思うけど、トングって便利だ。トングの便利さを一度味わうと、もう、なんでもかんでもトングでつかむ。麺類、肉類、野菜類、パンでもなんでもトングでつかむ。 で、酷使した結果、折れた。 折れたとき、トングって折れるの?と思った。 食材をつかむ方と逆側の、繋がっている方が、真っ二つに折れた。 もともとは、義母が脳出血で倒れる以前に愛用していた品だから、少なくとも、軽く10年以上は使って

          トングの可能性

          ラジオの話

          家事をしながら、よくラジオを聞く。毎週必ず聞く番組もあれば、ときどき聞く番組、いつの間にか聞かなくなったものもある。三ヶ月前ぐらいから、よく聞くようになったのが「大竹まこと ゴールデンラジオ」だ。 もともと、武田砂鉄さんが好きで、金曜の「アシタノカレッジ」を欠かさず聞いているのだけど、その砂鉄さんが火曜日にゴールデンラジオに出演していると知って聞き始めたのがきっかけだ。 大竹まことさんと言えば、自分が小さい時からずっとテレビに出ている人、というイメージがあって、ときどき、

          ブロッコリーとってきます!

          ここ一か月、いつも利用している生協の宅配がストップしている。なんでも、サイバー攻撃によるシステム障害とかで、宅配サービスの機能だけでなくオンライン決済やら何やら全方位に影響が出て、現在、全力で復旧を目指しているところだそうだ。 一週間に一度の宅配がないので、家から車で15分ほどの店舗まで買い物に行く。すると、店舗ではひたすら、「ご迷惑をおかけしております。」「大変申し訳ありません。」と、ひっきりなしに謝罪のアナウンスが流され、レジや商品の棚にもシステム障害で通常通りの営業が

          ブロッコリーとってきます!

          もうもどれない

          運動会の季節である。 先週は下の子の、そして今週は上の子の運動会があった。 こどもたちの就園、就学がコロナ禍とだだかぶり、あらゆる行事が縮小され、そのことは概ね歓迎している。だけど今回、上の子の運動会(名称も「運動会」ではなく「スポーツフェス」に変更された)を観ていたら、少し複雑な気分になった。 運動会改めスポーツフェスは、一年生と二年生、三年生と四年生、五年生と六年生のそれぞれ三部制で、児童と観覧する保護者がその都度総入れ替えして行われた。我が家の一年生が出場する種目は

          もうもどれない

          焼きおにぎり最強説

          先月、家族5人そろってコロナになった。 我が家には在宅介護中の後期高齢者がいるが、その本人が最初に陽性になり、訪問ヘルパーもデイサービスもすべて停止。家族だけで10日間の療養期間を乗り切らなければならなくなった。 その療養中、一番多く作ったのが、焼きおにぎりだった。 家族の陽性がわかった日はちょうど生協の宅配日で、一週間分の食材が届いたところだったので、すぐに食事に困る、ということにはならなかった。しかし、普段昼間はそれぞれ幼稚園と小学校に行っている子どもたちと、週に4日

          焼きおにぎり最強説

          ほうれん草の達人

          私が家族と住んでいる家は、周囲に民家がなく、竹林に囲まれている。雀のお宿みたいだな、と、ずっと思っている。家の前から林の中へ続く道はサイクリング道として整備されていて、そこはまだ子どもが腹の中にいるときからの散歩コースだ。臨月前後で非常勤の仕事を退職して、急に暇な時間ができた私は、毎日朝に夕にその道を歩いた。子が産まれてからもベビーカーに赤子をのっけて散歩に繰り出し、子が歩くようになってからもやっぱり足繁く通った。 子が二人になり、大きくなってくると、ただ同じ道を行ったり来

          ほうれん草の達人

          消えていく言葉

          先日、こどもたちを隣接している小学校と幼稚園に送っていったとき、たぶん小学校5年か6年ぐらいの女の子が二人で連れ立って歩いているのを見かけた。その歩き方が、なんというのか、人という字の成り立ちのように、お互いの上半身の体重を半ば預けあって、4本の脚は行き所がなくしゃーなしに一応前に出してますけど、とでもいうようなものだった。 私の脇にくっついていた下の子が、そのお姉さんたちの様子を見て、「あのこたち のっそり のっそり あるいてるね」と屈託なく言ったのを聞いて、ああ、素敵!

          消えていく言葉