ほうれん草の達人

私が家族と住んでいる家は、周囲に民家がなく、竹林に囲まれている。雀のお宿みたいだな、と、ずっと思っている。家の前から林の中へ続く道はサイクリング道として整備されていて、そこはまだ子どもが腹の中にいるときからの散歩コースだ。臨月前後で非常勤の仕事を退職して、急に暇な時間ができた私は、毎日朝に夕にその道を歩いた。子が産まれてからもベビーカーに赤子をのっけて散歩に繰り出し、子が歩くようになってからもやっぱり足繁く通った。

子が二人になり、大きくなってくると、ただ同じ道を行ったり来たりしているばかりというわけにもいかず、車で公園などに出かけるようになると、以前ほどの頻度では行かなくなったが、今でも春がくれば筍を探しに行き、夏には毎年カブトムシの集まるクヌギの木の様子を見に行き、夏が終わり肌寒くなってくる今の季節だったら、むかごを採りに行く。

子どもたちも、山の中に続くその道を、「じぶんちの庭の延長」ぐらいに思っていて、先日、誕生日のプレゼントにジープのラジコンを買ってもらった上の子が、広いところで走らせたい!と、散歩道の先にある少し開けた空き地へ行くことにした。

空き地に着いたら無数のトンボが飛び交っていて、ラジコンで遊んでいたのは2分ぐらいで、気がつけば虫取りに移行していた。上の子はトンボ狙いで虫取り網を振り回しながらびょんびょんジャンプして走り回っている。下の子は質より量、なのかどうかは知らないが、地べたに狙いを定め、小ぶりのバッタを次々と捕まえている。

虫取りに興じる子どもたちに、「あと10分ぐらいしたら帰るよ。」「あと5分。」と声をかける。急に「帰るよ!」と声をかけても聞き入れてもらえないので、徐々に心の準備をしてもらうのだが、それでも私が予定していたのよりも遅れて、やっと家の方向へ足が向く。

やれやれ、やっと帰れる、と思ったところで、道の脇の畑で作業していたおじさんが、何やら子どもたちに声をかけている。近づくと、こっちに虫いっぱいおんで、と、自分のところの畑を指さしているのだった。見ると、無類の虫好きの下の子はもうそちらへ吸い寄せられている。今、帰る気になったところだったのに!と、心で泣きながら、私も、すみません、ありがとうございます、と畑に入らせてもらった。

そのあたり一帯は山を切り開いた里山のようになっていて、週に一度、仕事をリタイアした年代のお仲間が集まって農作業に精を出したり、手分けして草刈りをしたりしている。そのお仲間たちとは別に、個人が所有している畑もあって、今、こどもたちと足を踏み入れた畑は、寡黙なおじいさんが毎日朝から一人でまめに世話をしていた畑だった。

どうしてピンポイントで記憶しているかというと、そのおじいさんからほうれん草を大量にもらったことがあったからだ。

まだ上の子が乳児のとき、ベビーカーに乗せて毎日その畑の横を通った。おじいさんとはさすがに毎日顔を合わせているので顔見知りにはなっていて、挨拶ぐらいは交わす仲ではあったが、どうしていきなりほうれん草をもらう流れになったのか、詳細は覚えていない。横を通る度に私がよっぽど物欲しそうにしていたのかもしれない。とにかくおじいさんは、持ってって、と言って、スーパーで見かけるのと同じ野菜とは思えない巨大で肉厚なほうれん草を次々と抜いて、ベビーカーの座面の下についているネットにあふれんばかりに詰め込んでくれたのだった。一言、無農薬だから、と添えて。そのほうれん草の、おいしかったこと。以来、我が家では密かにほうれん草の達人、と呼んでいたのだった。

今、畑で作業をしているのは、子どもに声をかけてくれたおじさんと、おそらくそのパートナーの女性だった。子どもが巨大なキリギリスやショウリョウバッタに興奮している横で、あの、私、前に、ここのほうれん草いただいて、それがすごくおいしくて、と声をかけたら、おじさんが、「あ、あの妊婦のときに散歩してた…」と言うではないか。それで思い出したのだが、寡黙なおじいさんは、ときどき息子らしき人と二人で作業していたことがあった。そうか、あなたはあのときの。

と、こちらが驚いていると、「おじいさん、この11月に亡くなりまして」と、隣りの女性が言った。それで更に驚いた。確かに、最近自分が散歩に出る機会も減り、めっきり姿を見かけていなかったけど、あんなにかくしゃくとしていた人が、と少なからず動揺しつつ、おじいさんのようにはできなくてもね、こうして少しずつ、あとを引き継いでやってるんですよ…という、女性の話に耳を傾けた。

そのときは、突然の訃報にたじろいだが、そもそも、訃報とはそういうものだ。今生の別れ、などとはまったく思わず、いつの間にか会わなくなった人の訃報が、あるとき突然届く。達人が手塩にかけた畑の真ん中で手を合わせた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?