夏休みにはタッチをみていた

 小2の上の子が夏休みに入るにあたり、「こどものころ なつやすみで いちばんたのしかったことは?」と質問してきた。

 期待に満ちた目で質問されたけど、そのとき私の頭に思い浮かんだのは、クーラーの効いた部屋でもう何度観たかしれない「タッチ」の再放送をだらだらと見続ける自分の姿だ。その時に食べていた、母親のつくった抹茶アイスの舌触りまで蘇った。手作りのアイスは中身が均等に凍らず、冷凍時に下を向いている部分、つまり食べるときには真っ先に食べる部分の濃度が濃くなるから、アイスの先っちょに抹茶が集中していて、いきなり味のクライマックスを迎える。その、一番おいしい部分を大事に食べたあとで、薄まった残りの部分をシャリシャリと食べつつ、上杉達也と浅倉南にモダモダしている、そんな夏休みだった。

 思い浮かんだことをそのまま子どもに伝えようにも、説明しなければ伝わらない情報が多すぎるし、だいたい、子どもが期待しているのはそういうことじゃないよな、という思いもあって、「お、おーん、そーだなー…」と煮え切らない返事をしているうちに、子どもの興味は既に別の話題へ移っていった。

 現在、夏休み真っ最中の子どもは、学校から課された作文帳を最低三つのエピソードで埋めることに必死で、作文帳に書くための計画をあれこれ立ててはそれを実行することに精を出している。まだ小学校二年生の子どもが計画を実現するのには親の力が不可欠で、県境を越えて生き物との距離感が近いので人気のミュージアムへ出掛けたり、夜、寝る支度を整えた後で家の前の真っ暗な森の中へカブトムシを捕獲しに行ったり、池へ出掛けてボートを漕いだりしている。

 夏休みを満喫して楽しそうな子の顔が見られてうれしいが、一方で、「その他の何でもない日」が、夏休みという、子どもにとったら長大な時間の本体だよなーという気もしている。朝からアイスを食べながら、ごろごろだらだらとアニメを見ててもまだ昼で、大人がいつも通りの生活を送る横で時間を持て余しているようなあの感じ。人生で、そんな時間を過ごせるときって、そうはない。埋め尽くされた予定を消化することに躍起になることは、これからいくらでもできるから、こどもたちにはできるだけ、無目的な時間だけがただある、という状態を体感してほしい、などと思っている。夏休みだからといって、特別なことはしませんよ、という親側の体のいい言い訳といえばそうなのだけど。

 当のこどもたちはといえば、何にも予定のない日は、放っておけば身の危険を感じる暑さの中、虫取り網を掴んで庭へ飛び出して行っては5分と経たずに「あっつ!」と言って家の中へ入ってくるというのを毎日繰り返し、そうかと思えば風船に水を入れたのを噴射させてびしょ濡れになって狂ったように笑っていたり、きょうだいでオセロゲームの勝敗に本気で一喜一憂したりと、「何でもない日」がいそがしそうだ。

いいぞ、もっとやれ。

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