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【134】マインドフルネス実践 ー 慈悲の瞑想② 嫌な人に対して慈悲の心を向けられるか

いつもご訪問頂き誠にありがとうございます。

本日も以下マインドフルネスのワークブックにて学習していきます。




前回「慈悲の瞑想」について学習しましたが、本日はその続きです。
慈悲の瞑想により、過去の自分を思いやりを持って振り返り、和解することで自己受容や自信への愛を目覚めさせるという練習でした。

本日はここからさらに踏み込んでいき、その範囲を拡大していきます。

周りの人々に対する慈悲


お世話になった恩人の方々へ


自分自身に対して慈悲の心を向けたら、今度はあなたを励ましてくれたり、お世話になった恩人や恩師に対して慈悲の心を向けます。

慈悲の瞑想は愛、思いやり、共感に対して心を開く素晴らしい練習です。
その手順は以下のとおりです。

① 姿勢を正した状態になります。
 ※ 姿勢が整っていれば横になっていても座っていてもどちらでも大丈夫です。

② この練習が慈愛に満ちたものであることに意識を向けます。

③ 心が落ち着いてきたら自然に呼吸し、意識を呼吸に向けます。

④ 以下の言葉を恩人に向けます


私の恩人たちが安全でいられますように

私の恩人たちが健康でいられますように

私の恩人たちの心と体が安らかでありますように

私の恩人たちが平安でいられますように



ここは本当に感謝できる方に対して向けるので、違和感はないと思います。
むしろ自分に向けるよりすんなりと言葉が出るのではないでしょうか。

身近で大切な人たちへ


これができたら次は、家族、友人、仲間などごく身近な人たちに対して慈悲の心を向け、同じように言葉をかけます。

私の身近で大切な人たちが安全でいられますように

私の身近で大切な人たちが健康でいられますように

私の身近で大切な人たちの心と体が安らかでありますように

私の身近で大切な人たちが平安でいられますように

知人たちへ


次に知人や、知らない人、特に好きでも嫌いでもない人たちに向けます。

私の知人たちが安全でいられますように

私の知人たちが健康でいられますように

私の知人たちの心と体が安らかでありますように

私の知人たちが平安でいられますように



段々と「心から」言葉が出にくくなってくるかもしれません。
形だけでも良いので、とにかく顔を思い浮かべながら練習していきます。

次がある意味ではこの練習の真骨頂と言えるでしょう。




苦手な人たちへ


さて、ここからが問題です。先程までの慈悲の心を苦手な人、嫌いな人、敵対している人に向けます。
その状態で、以下の言葉をかけます。


私の苦手な人たちが安全でいられますように


私の苦手な人たちが健康でいられますように


私の苦手な人たちの心と体が安らかでありますように


私の苦手な人たちが平安でいられますように



さてどうでしょうか、人によってはここに家族の誰かが入ってくるかもしれません。
自分にとってトラウマやストレスとなるような相手に向かって、慈悲の心を向けられるでしょうか。

どうしても抵抗感があったり、愛など微塵も湧いてこない、むしろ敵意しか湧かないということがあるかもしれません。

しかし、この練習はその感情を持つことも目的のひとつです。
その際にポイントとなるのは以下です。

■ なぜその人に対して思いやりや愛情を持つことができないのか分析する

■ 苦手な人へ慈悲を向けることは「究極の挑戦」であると自覚する。
 つまり、抵抗感や敵意があって当然と考えること

■ 敵意やわだかまり、怒りなどの感情が心身にどのような影響があるか振り返ってみる。
 → 身体のどの部分にどんな感覚が生まれているかを客観視する
  胃がムカムカする、動悸がする、胸が痛くなる、変な汗が出てくるなど

■ その身体感覚に意識しながら、その原因となっている感情を持つことにメリットがあるのかどうか吟味する
 → 通常、敵意や怒りは健康や幸福と感じる心に悪影響を及ぼします。
  そのような気持ちを和らげるために、自身に対して十分な慈悲と思いやりを向けることが大切です。

■ 人を傷つけたり、対立を起こそうとする行動は、恐れや不注意から生じるものと認識し、「許し」について考える機会とする。


以上のことを踏まえると、慈悲の心も生まれてくるかもしれません。

また、本著にはありませんが、その嫌な人は自分の課題を見つけるために現れている可能性や、自分の中にある心そのものであると言う人もいます。
「あえてその役を買って出てくれている」と思えば、そこをとっかかりにその人への憎しみや怒りを落ち着かせることができる可能性は出てきます。


日常生活での慈悲の練習



慈悲の瞑想は、日常生活でもありとあらゆる人に対して向けることができます。
家族はもちろん、友人、会社の同僚の顔を見ながら上記の言葉を思い出してみる。
また、難しい関係性にある人に対して、怒りや不満、敵意を向ける代わりに何か慈悲の心を向ける余地はないかを探してみる。

もしくは、お店の店員さん、同じ電車に乗り合わせた人、道ですれ違った人に慈悲の心を向けてみる。

もちろん自分自身に向けることも忘れてはいけません。

そして、自身の心を開くことで、自分や他人、環境に対してどのような影響があるのか観察してみます。
慈悲の心を向けるのと向けないのとでは、気持ちや現象に何か違いはないかに注目します。

この練習は容易でありません。自分の心を受け止め、あるがままに受け入れ、より謙虚な姿勢でいなければなりません。
そのために、自分の心の中の闇やモンスターの存在と向き合うことになるかもしれません。
しかし、このまま苦悩や苦痛、無意識の状態のままで生活を送ることが、より困難な状況を招くことを忘れてはならないでしょう。


とはいえ、どうしても慈悲なんて湧いてこない、怒りでどうにかなってしまいそうであれば、それはその気持ちを受け止め、あるがままにするだけでもよいそうです。やっていくうちに少しずつ気持ちがついてくることでしょう。

私の場合はやはり、父親や仕事で出会った人生でワースト1の人物の顔が浮かんでくるのですが、いかに彼らの幸せを願うことができるかというところがポイントになってくるでしょう。
これは非常に難しいでしょう。


あー、思い出すだけで腹立ってきた!😡


結局最後にそれかい!という感じですが、まだまだ練習を重ねる必要がありそうです😅
精進します。



ここまで読んで頂き誠にありがとうございました。
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