書評:アミタブ・アシャリアのThe Making of Southeast Asia: International Relations of a Region
書評です。
元々は2000年に出版され、かなり大規模な加筆修正の上、2012年にコーネル大出版とISEAS出版から協同で再版されたアミタブ・アシャリア教授(アメリカンユニバーシティ教授)のThe Making of Southeast Asia: International Relations of a Regionを紹介、批評します。
この本は、東南アジアにおける地域統合プロセスの通史を書こうとした野心的な作品です。そして、東南アジアの地域統合の通史として見た場合のこの本の特徴は、アシャリア教授が国際関係論の専門家でありつつ、東南アジア研究・歴史学との対話関係を保ちつつ、それを書いているという点です。後述するように、やや物足りない点もあるのですが、今の所、東南アジアの地域統合の歴史に関しては、この本を読むのが近道だというのが私の印象です。
各章の割り振りを見てみると、第一章・二章がトピックの紹介、理論的な枠組みの説明、「東南アジア」という地域に関しての著者の見解が紹介されています。この最初の2章は特に完成度が高いです。アシャリアの中心的な主張は以下の2点です。
1.東南アジアに限らず、「地域」というものは、地域的な共通性や現実性が条件になるが、それ加えて地域を統合しようとする人間集団の活動があって初めて意味のある地域として歴史に登場する。
2.東南アジアの地域性については懐疑論もあるが、東南アジア地域内外の知識層、政府、政治家、活動家たちなどが東南アジアを地域として成立させようとしてきた活動を地域統合への運動(地域統合主義)として認めるべきである。この運動が存在しているという点で東南アジア地域と統合主義の歴史は研究として正当化できる。
それ以前の研究は、「地域」というものが「疑いようのないものかどうか」という点から始めていました。そういう学者から、「なぜ、あるか無いかもはっきりしない『東南アジア地域』などというものを研究しなきゃいけないんだ?」という問いが出てきたわけです。彼らは、地域統合を進めようとする人々を歴史の主体として、彼らの自身の文脈で認識できていませんでした。そのため、アシャリアの作品は、地域統合を進めようとした各国のエリートに初めて真摯に着目したという点で画期的です。
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きしぉう博士のアジア研究ノート
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