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【読書】"The Ice Palace"(氷の宮殿)/Francis Scott Fitzgerald

音楽的な文章、というものがあるとすれば、この小説のことだろう。

はっとするような美しい表現の中に織り込まれた少しの冷やかさや憂鬱さ、反芻したくなるような読後感を残すリズミカルな波長、そういったものを備えた文章があるように思う。

◇◆

"The Ice Palace"

この小説を手に取ったのは、村上春樹さんによる邦訳版を読んだことがきっかけだった。

冒頭部分を読んで衝動的に、原作も読みたくなったのだ。
それが次の一節である。

The sunlight dripped over the house like golden paint over an art jar, and the freckling shadows here and there only intensified the rigor of the bath of light.

まるで絵壷を彩る金色の絵の具のように、太陽の光が家中にしたたり落ちていた。あちこちでちらちらと揺らめく影も、降りかかる光の強烈さをかえって際立たせているだけだ。

※邦訳は村上春樹「マイ・ロスト・シティー」の「氷の宮殿」より引用。以下同じ。


本作品は、アメリカ南部育ちの、夢見がちで怠惰な美しい女性サリー・キャロルと、北部に住むエネルギッシュで、やや繊細さに欠ける騎士的な男性ハリーとの物語だ。

それぞれの土地柄を代表するような性格の男女が、そのイメージゆえに惹かれあい、全く同じ理由で破局に至る。

「南部の人」「北部の人」という属性へのステレオタイプが、最初は互いの魅力の象徴になり、次第に愛情をもむしばむ元凶へと変化していくさまが、流麗な情景描写と会話で描かれる。


道端ですれ違った少女の愛らしさに感激するサリー・キャロルと、楽隊の演奏の爆発音のような迫力に恍惚とするハリー。

二人の感性はあまりにもかみ合わず、徐々に修復できないほどの溝が広がっていく。

“Look! Harry!”
“What?”
“That little girl—did you see her face?”
“Yes, why?”
“It was red as a little strawberry. Oh, she was cute!”
“Why, your own face is almost as red as that already! Everybody’s healthy here. ”


「ほら見て、ハリー!」
「なんだい?」
「あの女の子。あの子の顔を見た?」
「見たよ。それがどうかしたのかい?」
「小さな苺みたいに赤いわ。なんて可愛いんでしょう!」
「おいおい、君のほっぺただってもう同じくらい赤いんだぜ。ここにいればみんな健康になるんだ。」


“It’s beautiful!” he cried excitedly. “My golly, it’s beautiful, isn’t it! ”
As the shout died the band struck up again and there came more singing, and then long reverberating cheers by each club. She sat very quiet listening while the staccato cries rent the stillness.


「美しい!」とハリーは感極まったように叫んだ。「まったく、なんて美しいんだろう!」
闇の声が静まると楽隊が再び演奏をめ、それに合唱が続き、そして各クラブの万歳が長く響きわたった。
彼女(サリー・キャロル)はぽつんと腰を下ろしたまま、静寂を切り裂く歓声の断続音に耳を澄ませていた。



話の展開そのものは哀しいが、その文章からは、不思議と重苦しさを感じない。

それどころか、読んだ後には清々しささえ残る。

情緒豊かな言葉と流れるような軽やかな文章が、そうした感覚を呼び起こすのだろう。

言葉から音色が、文章からリズムが感じられるのだ。

◇◆

無数の小説の中からとある作品に惹きつけられる時、その作品だけに立つアンテナのようなものを人それぞれ持っているように思う。

本作品は間違いなく自分のアンテナに引っかかるものだった。

何度聴いても飽きない音楽のように、何度読んで、内容を知り尽くしてもなお、読みかえしてはその余韻に浸りたくなる文章がある。

最後に、フィッツジェラルドの作品からもうひとつ、クセになった大好きな一文をご紹介して終わりたい。

There was a rough stone age and a smooth stone age and a bronze age, and many years afterward a cut-glass age.

旧石器時代があり、新石器時代があり、青銅器時代があり、そして長い年月のあとにカットグラス時代がやってきた。

※“The Cut-Glass Bowl” の冒頭部分。スコット・フィッツジェラルド著/邦訳は村上春樹「バビロンに帰る」の中の「カットグラスの鉢」より


mie

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