見出し画像

【小説】耳を傾ける

「あなたのために言うんだよ」って、他人の話ばっかり聞かされてムカつきませんか?
「これが自分の考え、正直な気持ち」だからと、聞きたくもない話を大声で無理やり聞かされて悲しくなっていませんか?
雪深い地方都市にある喫茶店『中継点CAFE』に、話を聞くことが得意な人がいるらしい。みんな自分が悪いんだと泣いてる人や誰も私を分かってくれないと怒り狂っている人を見つけたら、『中継点CAFE』を知る人たちは通りすがりに言います。「百坂さんのところに行ってみたら?」ーー。

 この女の人は、今日初めて百坂さんのところに来た。たいへんイライラしたように自分が着ている毛糸編みの上着を擦ったり、裾を握りしめたりしながら百坂さんに話をしている。顔は中継点CAFEに入って来た時からずっと、卑屈そうに苦み走っている。話しているうちに、彼女は座っているソファーの上で膝を抱えた。

 百坂さんは話を聞きながら、ほんの最初のうちだけなのだけど、つい余計なことを考える。まばたきした時に目から溢れた涙に浸された睫毛が、青みがかかって深い色に見えて、いいな、と思った。上がり眉は活き活きとして、かつ賢そうに見えるし、垂れ目は可愛らしい。声の大きさは控えめだけど、弱々しくはない。きっとこの人は普段、しっかりした人に見られてるんだろうな、と百坂さんは推察した。

 そこで邪推はいい加減にして、彼女の話に耳を傾けた。

 女の人は話ながら次第に居心地が悪くなっていった。百坂さんは今まで話をした人たちと全く違って、ただ聞いているからだ。

 例えば、自分がとても悲しかったこと、悔しくて堪らなかったこと、自分は明らかに悪くないのに、相手にはあんたが至らなかったみたいな言い方をされて、何もかもが憎たらしくなったことを話したとする。

 すると、相手は「よくあることだよ」とか「私だってね、たまに死にたいとか思うよ。けれども何とかやってるの。皆そうなの」と言って、こっちの方がわがままで情けない、弱いみたいな言い方をする。

「考えすぎ」「ネガティブすぎ」「焦りすぎ」って、私の考え方を否定して話を切り上げようとする。

「あなたはこんなに人に助けてもらってるのに」「私はあなたにこれだけのことをしたのに」って、まるで私が感謝の出来ない酷い人間みたいな言い方をする。

「あなたのために言うんだよ」って、今まで自分がどれだけ頑張って来たのかを延々と聞かせる。

 つまり、彼女の周りにいる普通の人たちは、彼女の話を聞かず、自分の話を聞かせる。彼女が聞かせて欲しいことが何かより、自分が彼女に聞かせたいことが正確に、かつ正直に言えているのかどうかに、とても注意深くなる。

 彼女は、向かいの百坂さんという女も、きっと、その皆と同じようにするのだと疑っていた。接客してくれた店主らしき人に訊いたら、百坂さんは店員でもただの客でも、プロのカウンセラーでもないと言っていた。

 きっと今に、自分の話を聞かせてくるーー。

 でも、一向にそんなことが無かった。百坂さんは、じっと話を聞いていた。レンズの幅が狭い眼鏡をかけていて、一重瞼に長めの睫毛が繊細そう。目が、濃いめに出した紅茶みたいな綺麗な色で、微かに揺らめいてるように見えた。口は小さくて上唇が山型で、柔く結ばれている。

 あまりに何も聞かせて来ないので、彼女は「もう、どうしたら良いのかな?」と、あえて訊ねた。もしかしたら、この人には的確な助言があるのかもしれないという期待と、どうせこんなネガティブな話聞かされてうんざりしてるんでしょという猜疑心が込められていた。

 そうですよねぇ…………と百坂さんは、じっくりじっくり呟いた。辺りがしーんとした。

 本当にただ聞いてるだけなんだ、と彼女は、ほっとしていた。すると、唐突にこう話していた。

「私、どうしたらいいのか、早く決めたいんです。もうぐずぐずしたくない。皆、焦りすぎって言うけど、早くしないとって、苦しくなっちゃって」

 百坂さんは頷いた。それから少し唸ってから、こう言った。

「焦っちゃうのがつらいのかな。焦っている間って、あれもこれもって混乱して、結局なんにも出来なかったら、自分って駄目だって思っちゃって、自分が嫌いになって、でもどうしたら良いのかわからないし、考える元気もない、それでまた自分が不甲斐なくてっていう、感じとか? だったりするのかな?」

※※※※※※※※

 百坂さんはソファーの背もたれに手をかけ、窓の外を見下ろし、女の人を見送った。店主の辺見さんは百坂さんを労らった。

「あの人、どうしてびくびくしてたんでしょうね? ずっと、百坂さんを睨んでたけど、怒ってた感じじゃないような。怖がってたような感じもしたし」

「びっくりしちゃったのではないでしょうか? なんか、落ち着かなそうにしてて」

 辺見さんは、窓の外を眺め、さっきのお客さんを労うように微笑んで言った。

「あんまり、聞き上手な人に会えなかったのかもしれませんね」

 そうなんでしょうかねぇ…………と、百坂さんは呟いて、唸った。窓硝子がうっすら曇った。

 辺見さんは出入り口を開け、『中継点CAFE』の札をcloseに反して扉を閉めた。

                 了



頂いたサポートは、本代やフィールドワークの交通費にしたいと思います。よろしくお願いします🙇⤵️