記録係
不安な気持ちになった時に、とりあえず書き留める日記です。 不安へ立ち向かわず、そのままにしておくための実験でもあります。 強引に取り除こうとすればするほど増大してゆく厄介な感情である不安。 ならばとしっかり向き合うことにしてみました。
小さな頃から沖縄は旅行する場所だと認識していた自分にとって、そこに暮らす人たちとの関わりは新鮮で、嬉しい発見に溢れる毎日です。納豆は4パックで1セットが当たり前とかね! ただ同時に自分がこれまで沖縄に投げかけていた視線の暴力性にも気づくこととなりました。 ここでの暮らしと関わりを書きとめることで、自分の中に長い年月をかけてまるで石化したようにこびりついた"身勝手な沖縄像"が、少しずつほどけてゆくことを期待しています。
天の川が流れている。 銀河の縁を内側から眺めている。 行き詰まると星を眺めに外に出る。 できるだけ灯りのないところを探して歩いていると、道に大きな蜘蛛が死んでいた。 都市で過ごしていると、どうも自分が星の上に生きていることを忘れてしまう。 思い出したところで人生が変わるわけじゃないけれど、人生変えずとも生き続けることができるような気がしてくる。 知らない歌と知らない星に心を洗ってもらいつつ、汚れた靴を気にして帰った。うっかり蜘蛛を踏まないように、下ばかりを見て歩いた。
新しい言語を学ぶとき、言葉というもの、単語というものをより感覚的に、そしてその言語の成り立ちや国の性格、歴史などから大きく捉えるとうまくいきそうな気配がする。ちょっとわかりがよくなりそう。 言語を学ぶにあたって、いい癖か悪い癖か、言語っていうものが人にとってなんなのかというところから一旦遡ってみようと思い立った。 どうやらただの記号ではなさそうだ、という思いは昔からあった。 単語や文法、構文解釈のような言語学習、日本語と符合していく作業はしんどくて続かないしやる気が出な
小さい街に暮らしていると、町の機嫌がよくわかる。 今住んでいるのはとても小さな街で、徒歩15分に全部ある。 図書館もスーパーも、パブもレストランも駄菓子屋さんも。銀行も体育館もみんなある。 そんな街にいると、町の機嫌みたいなのがわかりやすくなる。 町の機嫌といっても人の機嫌のことだけど、 町中みんながおんなじような気分になるから、町の機嫌。 晴れの日は、町の真ん中のお菓子屋さんが陽気な音楽をばばんばばんばんと流していて、陽を浴びるように人がわらわらと外に出て伸びをしている
形から入ることをやめます。 今後一切。 何かを始める時、たいていは始めるに当たって準備しなければならないことがいくつかある。 一つに道具を揃えるってのがあると思うのだけれど。 そのフェーズにおいて、「形から入る」人たちは少なくないのではないかな。 「形から入るタイプ」と自称したり呼称されたりする僕らは、 例えば絵を描き始めるに当たって分厚いテキストとヨーロッパ産の高級絵の具を購入し、本職の人たち同様のハイクラスなツールを揃える。 例えば言語を学び始めるに当たってたくさんの
自分の弱いところや嫌いなところを見つめるとき、または見せつけられた時、僕はそれを人に話したくなってしまう。 それはきっと許しがほしいからなんだと思う。 許してくれると知っているからなんだと思う。 優しい人だとよく言われる。 でもこの優しさは、防衛反応の一部であることが多い気がする。 人に悪く思われたくない、その場を上手に乗り切りたい、というエゴが導き出す最善かつ最も楽な方法が相手に優しくすることだと思っているのだ。 優しさというよりも自分に我慢をさせるという感じだ。 だか
家族や友達との間だけに通じる言葉って、誰しもにあると思う。 小さい頃、間違えて呼んでいた名前がそのままそれを示す呼称になったり、正式名称のわからないものをテキトーに名付けていたらいつの間にかそれが家族間のオフィシャルワードになっていたり、そのルーツは様々なはず。 少しネットで調べると、知らん家族がリモコンのことをピッピと呼んでいたり、スクランブルエッグのことをポロポロと呼んでいたりしているのを知り、それだけのことなのに人んちのリビングに勝手に上がり込んでいるような気分になる
あと4ヶ月で26歳になる。 「誕生日を意識させるようなことを書くと、お祝いをしてほしいのかと思われないかな」 などと考えてしまうのは、誕生日を意識させる何かを読んだ時に「お祝いしてほしいのかな」と思ってしまう卑屈な人間だからなのかもしれない。 『26歳計画』という本を3年前に読んでから、26歳という年齢が急激に意味を持つようになってしまった。 困ったことに。 ところで人生において意味を持つ、あるいは何らかの節目となる年齢はいくつかあると思う。 七五三や成人式など年齢にま
自転車で30分くらいのところに大きめのスタバがあるので、作業道具を携えて向かった。 荒川を越える橋を渡る。 土手にまたがるこの橋を渡るのは昔から好きだった。 土手の景色というのは何時間眺めても飽きないきがする。 たくさんの人が走っていたり、自転車を止めて、慣れないスマホで綺麗な空を写真に残そうとする人がいたり! 高架下の壁に向かって1人でソフトボールの練習をする人もいた。 それぞれの日常の中にあるささやかな遠回りのような風景たちは、結構グッとくるものがある。 くたび
友達がパリに行くので空港へと向かう。 花粉の薬のせいで午前中からとてつもなく眠い。 お見送りに加えて、書いていた小説を渡すという大切なミッションがあったのに、現物を忘れた。 成田空港に着くと、たくさんの国の香りが混じって記憶を刺激してくる。外国に行きてえ〜ってなる。 妹が留学するときも、今日もそうだ。成田空港の匂いは海の向こうに気持ちを追いやる。 初めて行った国はフィリピンだった。 モールや空港で目にする異国の品々は14歳の僕の胸を躍らせてくれた。 「ディズニーより楽しい
カメラロールを遡っていくと、見慣れないというか、身の丈にあってない場所の写真があった。 4ヶ月前 その日は確か雨で、ズボラな人なら傘はいらないと判断するくらいの雨。 と思って油断していたらしっかり降り出したから傘のレンタルサービス的なので借りた。 学大前でいくつかの用事を済ませて、下北沢の少しはずれにあるバーに行く。ここは好きな写真家さんが行っていたから知った場所。 どうやら中に小さなギャラリーがあって定期的に展示が行われているみたいだった。 展示を見にいくという名目が
新しいZINEができました! タイトル『助走をとる』 半年間同居した友達が、3月からパリでバリスタとして働くことが決まりました。彼の人生が進み、自分はなんだか置いてけぼりになった感覚であるにも関わらず、友達はいつも通り飄々としていて悔しいんです。 だから僕は僕のやり方で、パリまでの助走の時間を走り抜けようと思い、本を作ることにしました。 とりあえず友達には本を作ることだけを伝えて、12月から2ヶ月間、何日かごとに電話をしたり写真を撮ったり、撮った写真をもらったり、お互
思い出すという行為。 記憶を頭の中で再生することだけが、過去を確かなものにする。 小さい頃に好きだったプチプチアニメ。朝と夕方、テレビを目にする時間にeテレで流れていた5分のアニメ。 あの頃の5分って、5分だと気が付かないくらい長くて、それは5分を知らなかったからというのと、時間が流れ進むものという感覚が今より希薄だったからかな。時計を見るっていう感覚があんまなかった。1時間は超長くて、30分もワクワクする長さで15分は待つのがもどかしい長さで、5分は無視できない長さ。みた
ここ数日の沖縄の天気は2月であることを忘れるような暑さで、日中は25度くらいになる。もちろん上着の出番なんてないくらいの気温。 この時期になると島全体が春の準備を始めるというのだから、東京から飛行機で2時間半の距離にこんなにも常識の異なる国があるなんてびっくり。 もっとびっくりなのは、ここ最近の空は確実に夏のそれであること。 冬晴れのしんと澄んだ空気とは明らかに違っていて、空はグッと近くにあって、うんと風を浴びたくなるあの夏の空気。 日差しが金色に世界に降ってきている。例年
福田村事件を観た。 終盤は呼吸することを忘れていたんじゃないかと思うくらいに全身がそのリアリティを受け止めていて、鑑賞後はいつもより少しだけ自分の心臓や脈の音がよく聴こえた。 100年前の話。 100年っていうと長いようで、人一人分の人生と同じくらいだから、ほとんど隣にいるみたいなものだと思う。 100歳の時に幼稚園時代の初恋を思い出す、そのくらいの感覚で思いを馳せることができる時間が、だいたい100年。 そのはずなんだけど、 過去の歴史、悲惨なものから人類の前進と呼べ
『百円の恋』を観た。安藤サクラさん主演。 目の前の一勝のために頑張るのって難しくて、そんでめっちゃかっこいい。 部活とかは特にわかりやすいけど、 「どうせプロになれないのに」「全国優勝できないのに」必死に頑張る意味を自分に問いかけてしまいがち。 ただの自己満じゃねって言われがち。 自己満でいいんだろうね、自己満で上等なんだろうね。 それが好きで、勝ちたいから、頑張りたいから頑張るってかっこいい。 必死になったことがないという自覚を持ちながら生きてきたから、 目の前の一
視界がブラックアウトする寸前まで自分を追い込んだ。 いつもの公園。いつもの鬼ごっこ。 冬休み中の子どもたちはなんの引き換えもなしに、そのエネルギーを20倍くらいにして襲いかかってくる。ルールもよくわからないまま知らない遊びに招待されては、最速で負けた。 近くでは二つの凧が丘の斜面を低空飛行していて、 お年玉で買ったであろう新品の自転車と、新品のキックスケーターが行き交う。それを追いかけるのは、数年後にそのお下がりをもらうことになる弟たちだろうか。 小さな島の小さな街で、あ