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優しい人 [不安の日記 vol2]


自分の弱いところや嫌いなところを見つめるとき、または見せつけられた時、僕はそれを人に話したくなってしまう。
それはきっと許しがほしいからなんだと思う。
許してくれると知っているからなんだと思う。

優しい人だとよく言われる。
でもこの優しさは、防衛反応の一部であることが多い気がする。
人に悪く思われたくない、その場を上手に乗り切りたい、というエゴが導き出す最善かつ最も楽な方法が相手に優しくすることだと思っているのだ。
優しさというよりも自分に我慢をさせるという感じだ。

だからだんだんボロが出る。いろんなとこでいろんな人にいい顔しようとしていると、徐々に自分の辻褄が合わなくなってくる。
どこかで嘘をつかないといけなくなったり、こっそり逃げないといけなくなったりする。
いや、しないといけなくなるわけではない。
そんな時でも自分を守ろうとしているのだ。

うん、こりゃあよくない。
もっと世界に身体を曝さないといけない。
こうして恥ずかしいことを書き放つことも、外からみた自分の体裁を整えているだけでしょう。
決意したそぶりを人に見てほしいだけでしょう。
だけどもう仕方ない。なりふりなんて構っていられないんです。

こんな人間はまだ人に何も説いてはいけない。
せめて17歳の自分が、今の自分をかっけえと思ってくれるように、胸張って生きることができるように、鱗が逆立ってでも世界にぶつかっていかなくちゃならない。カッコ悪く恥ずかしく、傷つき泣きバカにされ、まとわる六月の汗のように疎ましく思われようとも。

もうありもしない才能に期待する年齢ではない。
飛べない鳥もいる。

だけど、何より必死に飛ぼうとしなければ。
飛べないことにも気がつけない。必死になることで、ようやく見える地平もある。

明日は新月。血の温度が少し下がる。気がする。

でも関係ないね、今日は前夜だ。
根性見せろ!ヒリヒリさせれ!

よく聞け地獄の鬼どもよ。
明日から頑張りますのんで、どうか見逃してちょうだいな。



 

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