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Passionの秘密

新しい言語を学ぶとき、言葉というもの、単語というものをより感覚的に、そしてその言語の成り立ちや国の性格、歴史などから大きく捉えるとうまくいきそうな気配がする。ちょっとわかりがよくなりそう。

言語を学ぶにあたって、いい癖か悪い癖か、言語っていうものが人にとってなんなのかというところから一旦遡ってみようと思い立った。

どうやらただの記号ではなさそうだ、という思いは昔からあった。

単語や文法、構文解釈のような言語学習、日本語と符合していく作業はしんどくて続かないしやる気が出ないことも知っていた。
成り立ちには諸説あるけれど、
言葉ってのは意味そのものではなくて、心に浮かぶ形のない概念をまあざっくりと抽象化したシンボルみたいなもの。
だからもちろん意味が先にあって言葉がある。
そういった順序を考えた時、言葉ってのは全くもって形のないものだと感覚できる。
感情で言えば、ぼんやりとした心や体の状態に名前をつけた感じ。
だから、言葉と意味を完全に符合したセットのものとして捉えてしまうと応用が効かなくなっちゃうことを知った。

例えば”Passion”。
情熱と訳されることが多いけれど苦しみや受難といった後ろ向きな意味も持つ。
ポジティブかネガティブかで考えると正反対の意味を持つややこしい単語だと思ってしまうけれど一度立ち止まって考えてみる。
語源を調べるとラテン語で苦痛を表す言葉からきていて、(それをさらに遡ると、また色々歴史はあるけど一旦はぶく)
それが次第に情熱といった強く込み上げる感情の意味も含むようになったという感じ。苦痛が生み出す感情も情熱も、何かに反応して引き起こされた強い感情であることは同じで、決して正反対のものではない。むしろその点では同一に近い。

こういった単語のように、特に感情に対して安易にポジティブかネガティブかみたいな二項対立のラベリングをしてしまうことは言語感覚の深い習得にとっては邪魔でしかないのだ。

こうなってくると面白くなってきて、余計な言語のことまでたくさん調べてしまう状態に突入する。
イタリア語はフランス語と似ているけれど、イタリア語の方が開放的で抒情的。地中海の温暖気候、眩しいオレンジの太陽が育む性格を一心に表しているし、初期ルネサンスの中心としての歴史や小国をいくつも抱えていたその背景こそが活気に満ちて詩的なこの言葉を形作っている!

一方でフランス語は理知的で、それでいてエレガントだけれど、それは中世に文学や法、行政といった分野において発展していった歴史が紡いできた物語でもあるし、哲学や啓蒙思想の中心地として先人たちが残した叡智の結晶でもある。

言語は単語と文法だけのもんじゃない。
伝わればいいってもんでもない。
人類という生き物が同じ星に脈々と生きているという歴史そのものである。
だから本当は簡単に過去の遺物みたいな扱いをして言葉を途切れさせてはいけないんだな思った。
言文一致とは勿体無いことをしたなあ、方言とかもなくならないでほしいなあ、と思いつつ、
それもまた、人の紡いだ歴史である。


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