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適齢期 [不安の日記 vol.1]


あと4ヶ月で26歳になる。
「誕生日を意識させるようなことを書くと、お祝いをしてほしいのかと思われないかな」
などと考えてしまうのは、誕生日を意識させる何かを読んだ時に「お祝いしてほしいのかな」と思ってしまう卑屈な人間だからなのかもしれない。

『26歳計画』という本を3年前に読んでから、26歳という年齢が急激に意味を持つようになってしまった。
困ったことに。

ところで人生において意味を持つ、あるいは何らかの節目となる年齢はいくつかあると思う。
七五三や成人式など年齢にまつわるイベントもあれば、選挙やお酒は年齢による許しが必要となる。
20歳になるまでは、そういった年齢による何やらが多くて焦ったかった。
20歳をすぎて学生を卒業する頃には、年齢よりも「社会人」において何歳かどうかばかりが気にされてきて、1歳や2歳の差なんて気にならなくなる。
あの頃あんなに大きく見えた6年生も、留年したらただの友達だ。

そんな事情もあって、あんまり年齢のことなんて考えなくなってきたはずだった。
頭の片隅にはThe 27 Club(27歳で早逝したアーティストたちをこう呼ぶ)があって、バスキアが亡くなった27歳という年にニューヨークに行きたいなどと宣ってはいるが、カッコつけたいだけか、そこにあまり信念はないように思う。

話が逸れまくる。
『26歳計画』は、仕掛け人の椋本さんが26歳の時に編集した本で、26歳の人たちの文章が寄せられ美しくまとめられている。
椋本さんは本書の中で26歳を旅の適齢期と呼んでおり、それは沢木耕太郎さんが『深夜特急』の旅にでた年齢だからだ。

26歳なんて30歳に向けてのただの通過点に過ぎないはずだった。キリだってよくないし、20代後半に突入ってことでむしろネガティブなイメージだってある。なのにたまたま訪れた街のたまたま訪れた書店でたまたま手に取った一冊の本が、僕の人生の骨の形を少し変えた。
人とは、人生とは、こんなにも脆いものなのか。26歳をチェックポイントとしか思わない僕はあっけなく死んで、今の僕といえば来たる26歳に向けて、不安や焦燥と手を取り合いながら息を巻いている。

とか言っていると、25歳である今から両足が離れそうになるので慌てて自分を引っ叩く。
もうすでに夏化粧をしたダイソーに騙されないように、しっかり5月を生きねばならない。

雨が路面を叩く。
久しぶりに天気予報を見なかった今朝、僕は傘を持たずに家を出た。

皆さんにとって、大事な年はいくつでしょうか。
そんなものには脇目もふらず、今を駆け抜けているのでしょうか。



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