見出し画像

常識外れ上等

 常識ない人という意味ではなく、周りの感情や常識、社会などに変に縛られず自分をもっている人。そういう人に昔から憧れ、嫉妬し羨望の目を向ける夜もあるし諦めと絶望の夜もある。自分は周りとは違うんだ、そう思いたいと思ったのはやはりガッツリ中学生の頃だった。
 
 中学の頃、「周りと違う俺」を意識していたし、マイノリティになることが正義だった。音楽はヒップホップを聴きレゲエにめちゃくちゃハマり、周りが興味のなかったファッションを勉強し、制服を着崩し、チャリを改造していた。けれど、本当の自分は一流のように自ら生み出したり、センスや才能も皆無で人よりも「普通ではないということ」を意識していた普通の男子だった。

 そんな感じに青春時代を送っていたおかげで紛いなりにも周りの人や先輩・後輩は「お前って人とは違っていいよな」「自分っていうものを持ってるね」「好きな音楽の事教えてください」なんて言われて、普通な自分に「人とは違う貯金」を貯め、そんな自分を認め、ナナメに見ること・生きることを「正」としてきた。

 けれど、成長し気付かぬうちに大学生になり今まで憧れていたお笑い芸人や歌手、アイドルにスポーツ選手、俳優は次第に自分と同世代もしくは年下の才能溢れんばかりに輝いている人たちに変化していた。

 別に大舞台で活躍し、センスを見せつけ「普通」な人たちに称賛され、いつかの夜に自分が向けた羨望や嫉妬をナナメに見る青年たちから向けられたかったわけではない。けれど、「人とは違う貯金」を貯め続けてきた自分には普通であることは認めたくなかったし、未だに様々な禍々しく、透明で、熱く煮え滾り、氷点下の海を這う冬風のような冷たさのあるあの視線を同世代の人たちに向けてしまう。

 けれど俯瞰して自分を見るとやはり「普通」であるのがわかる。悔しいけれど誰がどう見てもイキっていようと頑張ってみようと背伸びしてみようと普通ではない人を演じきれない普通な大根役者だった。

 常識外れ。普通じゃない人。センスをもってる人。ジェンダーレス男子はイケメンじゃないと成立しないし、好きな事で生きていくは圧倒的能力が必要だし、自然派の丁寧な暮らしは文明の生産力に乗っかってるし、「既存の価値観を脱却する」みたいなのは、既存の価値観で成功した人がその優位性を生かして到達できるネクストステージでしかない。

 普通ってなんだろうと思うところがまた自分は「普通」だなと思う。

 大学生っていうのはこの先の人生を分ける最後の時だと思う。ふつうに勉強をしてサークルを満喫し、たまに居酒屋で愚痴を言って、バイト先で社会を知り、貯めたお金で旅行に行き、スーツに着替えて頭を下げ、怒りながら上司の悪口を同期と言い、後輩ができ、寄り添える人を見つけ、安定した生活が送れるようになり、親のありがたみを知り、かわいい子供が生まれ、次第に禿げていき、子どもと進路で喧嘩し、一緒に嬉し涙を流し、結婚式では様々な感情とともに送り出し、たまに可愛い天使たちが会いに来てくれ、幸せにゆっくり死んでいく。そんな普通な人生って淡く脆いが幸せで誰もが目指しているし、社会も強要する。でもそれはそれでいいかなとも思うしなんならそこから逸れるのは怖くてできそうもない。全く逆に、安定なんか知らず、夢を追いかけていく。そんなことも目指せるのが最後の時だ。

 いつまでもどっちになった人生でも、満足はするし多少は違う道を歩みたかったなと思うけど、結局は後悔せずに死んでいくんだと思う。

 また夜にこんな感情に支配されてるわ。寝よ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?