ここではないどこか~読書という行為~
物語を求める心
中学生・高校生の学生時代、
私は本を読んで「別の世界」に行くことに夢中でした。
思えば、
小学生のころマンガにどっぷりハマったのもそういう理由でしょう。
幼い頃は母が絵本の読み聞かせをしてくれていて、
本に親しむように育ててくれたおかげかもしれません。
現実では、魔法が使える人にお目にかかったことはありません。
でも、マンガや本ではどうでしょう。
魔法なんて当たり前。人の想像力(創造力)の広さは計り知れません。
フィクションの待つところ
中学生で、ある程度、本が読めるようになってくると
私は「小説」の持つ「フィクション性」に強く惹かれていくようになります。
この「虚像性」の素晴らしいところは、全ての話が「嘘」というフィクションで作られるがために、
最も「真実」を貫くところがあるということです。
日記やエッセイ、ルポルタージュやノンフィクションというジャンルが
最も真実ではないか、と思われるかもしれません。
しかし、より深く余計なものを省き、
何かを表現したい、創り上げたいという一種の力が働く「小説」においては
作者の伝えたいテーマがより浮き彫りになって「真実」として読者の私を射抜きます。
そのテーマが深いほど、例えば絵本でもマンガでも
「文学」という物をうっすらと、まとう様な気がしてなりません。
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