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酔うと化け物になる父のせいで基本人格が形成された

Primeリーディング(プライム会員読み放題)を試してみたかったのでKindleアプリで色々探してみたら、タイトルにドキっとしてつい読んじゃいました。

この本は酒に呑まれた父親によって機能不全に陥った筆者の家族及び「自分の心」を失ってしまった筆者の壮絶な半生が描かれています。
愛されることを知らないと、暴力が愛情表現に錯覚せざるを得なくなるというのが変にリアルで怖かったです。

どうしてタイトルホイホイされてしまったのかというと、私もまた酒乱だった父に悩まされて育ったからです。

父は元々横浜市の人で、紆余曲折経て青森に流れ着きました。
なので父方は全員神奈川県民。お墓も東京にあります。

お酒がある程度入ると母と私に怒鳴り散らしてきます。
幸い、母は肝っ玉が据わっているタイプの人間なので、父の怒鳴りには耳を貸さないでいました。
母がそういう態度を取り続けると、終いに父は行動に移そうとして冷蔵庫の中身をチェックしたり私の部屋をチェックしては「片付けろ!」と脅迫めいたお叱りをするのでした。
当時通っていたそろばん塾から帰った時にも外から父の声が漏れていたので、母は心底面倒くさかったと思います。(でなければ今もしぶとく生きていません)
そして私は常に両親の間で板挟みになっていました。

夕食は毎日のように酒を煽り、20時には寝るという生活をしていた父。
当たりがだんだんとキツくなってきて、いつしか私の中では「家族の団欒=地獄の晩餐」というイメージが出てきました。
ちなみに「酔うと~」に出てくる筆者の父親と同じく、私の父も普段は無口で寡黙という高倉健みたいな人でした。

当然、休みの時もお酒を飲むわけですから、化け物と化した父の横でゲームなんてできるはずがありません。(やってたけど)
逃げた先は好きで描いていた落書きノートで、そこで空想にふけっていました。

小学3年生の頃でしょうか。とうとう私は我慢の限界を迎え、夕食を祖父母の家で食べるようになりました。祖父母は事情を知らないかのように、暖かく迎えてくれました。
外まで聞こえていた父の怒鳴り声が家の中で浴びると思うと、恐怖心でいっぱいになっていました。
不定期ではあったのですが、金・土は祖父母の家に泊まってもいました。小学生ができる、精一杯の自衛だったのかもしれません。

一度だけ、祖父母の家に父から電話がかかってきたことがあります。
話した内容は忘れちゃいましたが、確か「どうしておばあちゃん家に泊まるんだ?」的なことだったと思います。
この電話を受けた時、身体中が固まりました。声を聞くだけでも恐怖でいっぱいになったのでしょう。
それから祖母が私の家に上がりこんで、父に何か話していました。この時の私は父への恐怖心からか静かに泣きじゃくっていました。
以来、父からの電話は来なくなり、私はあいも変わらず祖父母の家で夕食を食べ続けました。

小学5年生のある日のことです。
あれだけ元気だった父が倒れました。
原因はガンでした。

「お父さん、入院するから」
母から言われた一言を聞いて、人知れずガッツポーズしたことを覚えています。

「早く死ねばいいのにな」

子供ながら、心の底から思いました。
皮肉なことに、父が入院して不在がちになってから自宅で夕食を食べられるようになりました。

そこから父は闘病生活に入っていきました。
常に体調不良なので、酒を呑まずに一日を過ごすことが多くなることがありました。

シラフの父は不器用ではありましたが優しかったです。
普段でも母とは気が合わなかったのですが、私に対してはそれなりに目をかけてくれていたように思います。

そこから思春期に入り、父の問題よりもさらに厄介な問題に巻き込まれていきました。
その時期に自宅のネット環境が光回線になったので、逃げ場所はパソコンへと移っていきました。
万が一、酒が入った父から暴言を言われようとも、銀魂で学んだ文句の言い方で対応しました。(父がフテ寝するというオチで終わりましたが…)

晩年の父は、痛み止めのせいで頭がおかしくなっていました。
私は母から「お父さんのこと見ていて」と言われるようになっていきました。
当時17歳。冬休み前に病状が悪化したので、休みの時は私が面倒を見ることが多くなってきました。
弱り果てた父は無惨で、可愛そうな人だと思いました。
そこから積年の恨みが爆発して、拒否するような仕草を見せようものならパシっと叩いて怒鳴っていた自分がいました。

ページを捲る度に、もうひとりの私がいるようでなりませんでした。
「私とほぼ似たような境遇を持った人がいたんだ!」という喜びと「やっとこさ胸を張って言える」心のわだかまりが解けた感覚に陥りました。

筆者は周りに頼れる人がいなかった(声を出すことができなかった)そうで、家事や父親の世話は妹さんと二人でやってきたそうです。
もし筆者と同じような家庭の元で生まれていたら、私は筆者の母親と同じ道を辿っていたと思います。

この話、いつかnoteでもしようと思っていたのですが、なかなかそれをやる糸口が掴めませんでした。
片方が毒親でもう片方がまともという幸せなんだか不幸せなんだか判断に困る家庭で育ちましたし、「近くに助けてくれる人がいたからよかったじゃん」という声が出てくるのも容易に想像がついたからです。

どんなに母が味方をしてくれても、私の過去を知った上でこれまで通り接してくれる人がいても、「酒の化け物」から受けた心の傷は一生癒えることはありません。
私はただ、家族3人で楽しい団欒を過ごしたかったのです。
祖父母やいとことの団欒も楽しかったけど、実の家族と過ごす平和な時間が欲しかったです。
母には20時に祖父母の家へ迎えに行ってくれていましたので、かなり迷惑をかけたなぁと思っています。真の平和のために、離婚して欲しいなと強く願っていました。

この過去と向き合うと、自然と涙が出てきます。
もう終わったことなのに、家族以外の味方もいるのに、今でも踏ん切りが付かない部分があるのかもしれません。
ですがそれは、家族だからこそ踏ん切りが付かないのだと思います。

私より強い人は、ある程度の踏ん切りを付けて新たな一歩を踏み出すことができます。
しかしどうでしょうか。「酔うと~」の筆者は今でもそれが夢に現れては涙を流しているといいます。

正体不明のよくわからない不安感は、そこから来ているのかもしれません。
私は「酒の化け物に犯されそうになった家族に育てられた」という認識を持つことができました。

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