「先生あのね」と、明日の皆既日食(未来のわたしとの交換日記6.20)

毎日日記を書く内容なんてなさそう…と、書き始めるまで思っていました。いや、書き始めてからも思っていました。
Twitterにつぶやくことはあっても、noteに、日記に、毎日かけることあるかな…と、書き始めて数日、そして、仕事が再開してから強く不安に思っていました。

最近気づいたのは、日記に書くことがないのではなく、日記を書くために1日を振り返る時間もなければ、その何かを切り取って文字に残す体力もなかった。結果、日記を書くという物理的時間がなかったのです。

仕事が始まって、仕事以外の今日を思い返すのが大変だったり、休憩で書き始めても、夜の更新に間に合わないな…ってあきらめかけたり…
仕事をしなくてはいけないのだけど、仕事がほぼほぼを占めていることをこれまたしみじみと感じてしまう。ちょっと前にも同じこと言ってた気がする。笑

本当に小さなこと、大事にしたい。いや、しなくては。
いい匂いがしたとか、花が綺麗だったとか。風が涼しかったとか、お店の人が優しかったとか。ささやかだけど嬉しかったことを貯金するように、書いていきたい。

「先生あのね」

小学生の頃、毎日書いていた「先生あのね」。自分の地域だけなのか、全国的なものかわかりませんが、低学年の頃、毎日書いていました。「先生あのね」で始まるたわいもない日記。音読する日もあった気がする。

中学や高校でも、日誌だったり、連絡帳だったりに、先生と5行くらいの文通の欄があって、ネタ切れの日もあったけど、割とあれを書き込む時間が好きでした。全員分返事を書いていた先生方…すごいな。

「エッセイ」とか、難しそうな内容ばかりに、頭を悩ませるのではなく
先生あのね」のあのゆるさや、なんでもなさ。そして、文章の短さでもいいのだよな。何かに想いを馳せることが大事なのです。

そう、だって、これは、「未来のわたしとの交換日記」というものなのだから。「未来のわたし、あのね」なんだな。

今更それを、思い出した。

明日は皆既日食らしい

明日は日食らしい。
「天体観測」にはそこまで高い興味がないらしくニュースで、明日は流星群ですと言われてもなぜか忘れてしまうし、曇っているしいいかと少しの可能性にかけての散歩もしない。

2014年の皆既月食の赤さは、当時好きだった人をデートに誘うため、「まもなく月食ですねー仕事早く終わりそうですかー?月食見れそうですかー?」って送ったけど、結局その日も会えず…という苦い思い出…
2011年の月食が早朝だったはずなんだけど、その時は、職場の人がとにかくテンション高くて、沢山の鑑賞用グラスを買ってきてくださってたので、みんなで年甲斐もなく楽しんだな…
夜の天体ショーは、いつ以来見てないんだろ…
明日は観れるのかしら…ちょっと楽しみにしている自分がいます。
明日を逃すと10年ほど見れないらしいですし…

皆既日食は見ることができましたか?
新しい思い出はできましたか?


未来のわたしとの交換日記
2020年6月20日のわたしより


この記事が参加している募集

スキしてみて

もし、気に入っていただけたらサポートお願いします。いただいたサポートは、素敵な経験に使わせていただきます。