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スタジオジブリが描く学生生活

スタジオジブリの映画が世界中で愛されている理由は数多くある。物語や登場人物に関する評価は当然高い。しかし私は手書き風の絵や、緻密でありながらもどこか自然体である背景描写やレイアウトなど、描写に関するクオリティの高さの評価が一番高い。

その中でも「学校」の描写が大好きである。

私は”耳をすませば”が大好きで、週1回は必ず鑑賞している。物語の内容が好きなであることはもちろん、私が生まれ育った場所「多摩」が舞台であることから親近感が湧くなど様々な理由はあるが、今回は「忠実に描かれた学校生活」という点を挙げたいと思う。作品を鑑賞する度に凄く懐かしい気持ちになれる。学生時代の記憶が不思議と蘇ってくるのだ。

ただ単純にその様子が「懐かしい」と思っただけでなく、私に大きな転機までも訪れさせた。それは記事の最後にエピソードとしてご紹介させていたく。

[緻密に描かれた校舎]

スタジオジブリ作品の中で学校が登場する作品は以下の通りである。

保育園・・・崖の上のポニョ
小学校・・・となりのトトロ おもひでぽろぽろ
中学校・・・耳をすませば
高校・・・海がきこえる 猫の恩返し コクリコ坂から
大学・・・風立ちぬ

太文字で書かれている4作品については学生が主人公の作品であるため頻繁に学校内の様子が映し出されている。その他の作品に関しては物語の1シーンでの登場となるため、その4作品に比べると登場時間は短い。そのため、この記事においてもこれらの作品の紹介は基本的に割愛させていただく。

今回皆さんへ特にお勧めしたい作品は ”海がきこえる” ”耳をすませば” 。これらの作品の共通点としては「セル画で作られた映画」という点である。

現代ではPCでの制作・CG技術の導入により、アニメーション映像の製作は容易なものになりつつある。しかし、これらの作品が制作された当時は現代ような最新技術は無く、全て人の手によって描かれているのだ。

そのため現代の映画とは異なり、非常に「味のある」映像が特徴的だ。これは最新作に近く、かつCG技術を用いて制作されている”コクリコ坂から”や”風立ちぬ”でも同様の作風となっている(PC技術が発達した現代でも、手書き風の絵を大切にしている点はスタジオジブリ映画の特徴の1つでもある)。

どの作品においても、教室・廊下・職員室などの雰囲気、奥行き、木製の机や椅子などの物のレイアウト(配置)など、現実世界をそのまま絵に切り取ったかのような描写である。「非常に空気感がある」というと分かりやすいだろうか...。アニメーションは人の手によって作られている物である。しかしスタジオジブリの作品の最大の特徴「作られているけど、作られていない自然な描写」に見えるという点であると私は感じている。

大学や専門学校などに関しては先進的で綺麗な校舎が増えつつあるが、小・中・高校、特に公立校に関しては、”耳をすませば”に登場する中学校のような昔ながらの味が残っている校舎は比較的多いのではないだろうか。

在学期間中は校舎に対して全く味気も感じられず、毎日ただ何となく授業を聴いて過ごしていた人も多々居るはずだ(筆者もその1人)。こればっかりは学校に通うのが日常となっている為、仕方ないことである。

しかし、卒業し数年経つと途端にその時代が懐かしく感じられるのではないだろうか。子供が出来て授業参観に行ったり、卒業アルバムを閲覧したり、校友と話をしていたりして思い出したりもすることもあるだろうし、テレビ・映画・アニメなどを見て思い出したりするなどきっかけは様々であろう。

時間が経つと途端に恋しくなってしまう現象は、学校以外の事柄や場所でも多くあるはずだ。

まだ学生時代を思い出すきっかけを掴めていない方に、お勧めしたいスタジオジブリ作品は下記の通りである。

小学校時代・・・「おもひでぽろぽろ」
中学校時代・・・「耳をすませば」
高校時代・・・「海がきこえる」

大学生活に関しては風立ちぬで描かれているが、物語の1シーンのみの登場、かつ時代も戦前とかなり古いためここでは紹介作品から外させて頂く。

どの映画もセル画で制作されている映画で、学校内の描写に関しては非常に味があるが、学校内の描写だけが特徴ではない。学生の主人公や、その他大勢のクラスメイト達の存在も忘れてはならない。半数以上は脇役になってしまうものの、学校のシーンでは重要な役割を果たす人物達となる。

[人物(学生たち)の描写]

忠実に描かれているのは学校内だけではない。生徒達の表情や言動なども同じである。画像は耳をすませばの1シーン。「この公式はテストに出すからね!」と担任の先生が公言した後「えー!」となる場面。

始めに見た時は普通の学校でもあり得る1シーンという認識であった。けれどよく見ると生徒一人一人の表情が違って実に面白い。これらのことは当然、スタジオジブリのアニメ以外であっても生徒達の表情は細かく描かれている。しかし、静止画にしてよく観察して見ると、面白いな...と思った。

その他にも小・中・高、様々な年代に合わせ、忠実に生徒達の行動も描いている。小学5年生のタエ子が登場する「おもひでぽろぽろ」では、給食に出てきた野菜が食べられず、パンに挟んで家へ持ち帰ったり、”広田くん”との恋の噂が他クラスの女子へ広まってしまい、嫌がらせで道路脇の壁に落書きされたりするなど、いかにも小学生らしい行動が細かく描かれている。

高校生の物語である”海がきこえる” ”コクリコ坂から”では、生徒同士の友情や恋愛などの描写は非常に青春感溢れるものとなっている。それはただ単に、少女漫画によくあるようなロマンチックな恋愛話ということでは決してない。いたって普通の友情を描いた物語もある。

特に”海がきこえる”に登場する杜崎拓と松野豊の友情や関係性は非常に現実味のある描写が特徴だ。作品を見て頂くと分かるのだが、2人の関係は綺麗すぎず、泥臭いー面もある。他作品のどの人物と比較しても非常にリアリティがあると私は思っている。

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ここで”海がきこえる”に登場する人物の描写に関して、wikipediaの記事において興味深い一文を見つけたので、ご紹介する。

「首都大学東京教授の宮台真司(当時東京都立大学助教授)は、宮崎駿との対談において、『耳をすませば』よりも『海がきこえる』の方がより現実的な女子中高生の描写ができていると発言し、2人の間で論争になった」

私も宮台教授の意見には非常に賛同することが出来る。

耳をすませばに登場する月島雫も確かに現実的な女子中学生の1人である。作詞が得意で物語を書きあげるという異色な才能の持ち主であるが、それ以外の点に関してはごく一般的な女の子である。

しかし、海がきこえるに登場する武藤里伽子は果たしてどうだろうか。彼女は親の事情で東京から高知の高校へ編入してきた女子高生であるが、月島雫のように何か1つのことに長けた才能の持ち主ではない。勉強やスポーツは得意で常に成績は学年の上位であるが、それ以外に何かあるか...と考えても特に突出した才能は何もない。自身と離れて生活している父に会いたい一心で東京へ向かった里伽子だが、それは普通の子供の気持ちから来るものとして捉えても良いのではないだろうか。

まとめると・・・月島雫は詩の才能がある。武藤里伽子は突出した才能はないが、勉強とスポーツは出来て成績は常に上位。・・・ということになる。どちらの方が現実世界に多くいるだろうか。それは少し考えれば簡単にわかる答えだろう。

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”耳をすませば”での月島雫と天沢聖司、”コクリコ坂から”での松崎海と風間俊との関係性も「青春」そのものであり甘酸っぱい恋愛が描かれているのだが、どこか作られた関係性となってしまっているのが気になる点である。

作品によって主人公、脇役の生徒達の描写は当然違ってくる。しかし、いずれの作品もその年代に合わせた作品構成になっており、その年代に応じて的確にとらえられた表情、行動、心情など様々なものが積み重なって素晴らしい作品が出来ているということは共通点であることに違いない。


[スタジオジブリの学園物作品]

ここからは学園物作品を簡単にご紹介させて頂きます。重複する部分もあるかと思いますが、ご了承ください。気になった方は是非DVDレンタルなどを利用して作品をご覧頂きたいと思います(ネット配信はありません)。


おもひでぽろぽろ

高畑勲監督作品の1つでもある"おもひでぽろぽろ"。1991年公開。

舞台は1982年の山形。主人公の岡島タエ子は休暇を取り山形へ出かける。そこへ思いがけず小学校5年生の「ワタシ」が現れる。回想シーンと共に山形での日々と、小学5年生時代のほろ苦い思い出を描いた物語である。

なお、詳しいあらすじについては以前投稿した記事に執筆したため、そちらを参照頂きたい。

おもひでぽろぽろ [幸せと理想]

https://note.mu/shinkiti12078/n/nff9cbe48c97f


海がきこえる

海がきこえるは1993年、日本テレビ開設40周年を記念して制作された作品。劇場公開は基本的に行われておらず、TV放映のみで公開された比較的マイナーな作品でもある。

監督は望月智充。スタジオジブリ内の若手作家を育成する目的でも制作された作品でもある。

舞台は高知と東京。高知の高校を卒業し東京の大学に入学した主人公・杜崎拓。彼は東京の吉祥寺駅のホームにて、高校のクラスメイトであった「武藤里伽子」によく似た女性を見かける。その後、はじめての夏休みに同窓会に出席するために故郷・高知へと帰省する道中、杜崎はその高校時代を思い起こす。季節外れに東京から転校して来た里伽子との出会い、ハワイへの修学旅行、里伽子と2人だけの東京旅行、親友「松野豊」と喧嘩別れした文化祭。ほろ苦い記憶をたどりながら、拓は里伽子の存在を振り返っていく。


耳をすませば

近藤喜文監督作品"耳をすませば" 1995年公開。

主人公の月島雫は読書が大好きな中学3年生。借りた本の図書カードにいつも書かれている「天沢聖司」の名前にときめき、どんな人なんだろうと想いを馳せる。ある日学校のベンチに本を置き去りにしてしまいた雫。引き返して様子をみたら別の男子生徒がその本を読んでいた。その男子生徒こそ「天沢聖司」であった。本に挟んであった「コンクリートロード」の詩のメモを読まれ嫌味を言われた雫。最初はその生徒が天沢と気づいておらず、「やな奴!!」と嫌っていた雫であったが、小さな古道具屋「地球屋」との出会いをきっかけに「やな奴」が天沢聖司であることを知った雫。そこでバイオリン作りに励む天沢の姿を見た雫は、徐々に心を惹かれていく。

舞台は東京都多摩市の聖蹟桜ヶ丘。現在も作中で登場する場所が多々残っているため、ジブリファンの聖地巡礼スポットの1つともなっている。


コクリコ坂から

宮崎吾郎監督作品 ”コクリコ坂から” 2011年公開。

舞台は昭和38年初夏の横浜。女子高生の松崎海は、海の見える丘に建つ"コクリコ荘"を切り盛りしている。海が通う高校には、クラブハウス “カルチェラタン” があり、老朽化による取り壊しの是非が論争になっていた。海は、取り壊し反対の論陣を学級新聞で訴えている風間俊と知り合い、二人は淡い恋心を抱くようになる。俊に協力したいと思った海が、カルチェラタンの大掃除を提案すると、高校では女子生徒達をも巻き込んだ一大掃除作戦が始まる。

そんなある日、ふとしたきっかけから松崎海と血縁関係があることに気づいてしまった風間俊。始めは現実を受け入れられず、驚きを隠せなかった。その直後から海とは次第に距離を置きはじめた。海もその変化に気づき、下校途中に俊のもとを訪ねてきたとき、俊はそのことを海に告白した。海も現実を受け入れることが出来ず、2人は次第に距離を置き始めてしまった。しかし、"カルチェラタン問題"となると共に立ち向かう2人。時間が経つと共に2人は徐々にまた友情を深めていく。淡い青春物語である。


[不思議な縁]

私は20代前半の人間で、今は学生ではない。一応、社会人と言った所だろうか...。耳をすませばなどの学園物作品を見ていた私は次第に「学校に戻りたい」と思うようになった。学校生活や校舎内の描写を見て懐かしさを感じたのは勿論のこと、不本意な学生生活となってしまったことから「また勉強したい」と思ったのも大きな理由の1つである。

前職は交通機関の現場で働いており、学校とは全くの無縁であった。しかし、映画を見たことで「学校で働こう」と決意。他にも様々な理由もあり、今は大学の付属機関で働いている。とは言ってもあくまでも付属機関で働く人間なので大学職員という身分ではないし、本当の学校でもない。だから現状には正直満足していない。

私は図書館という場所も好きなので学校の図書館で働けたらいいな...と思っている。出来ることであれば中学校か高校の図書館で仕事をしたい。だから資格取得に向けた勉強にも取り組もうと決心した。先の道は長いが可能性が0%ではない以上、挑戦するつもりだ。

スタジオジブリの各作品を見ていなければきっと今の自分は居ないし、学校で働く為の勉強をしようとも思わなかったであろう。将来の夢の1つを与えてくれたスタジオジブリの映画に対して、今は凄く不思議な縁を感じ、その縁に感謝している。

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