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知らないおじさんがハーモニカを吹きながら泣いていた話

こんにちは。この前実家に帰省した際に、ベビーカーを押しながら近所を散歩しました。

小さい頃通い慣れた道は、姿形を変えずにそのままでした。

他の人には全く価値のない風景かもしれませんが、個人的な思い入れがある故、かけがえのないモノになってしまってます。

暗闇の中、近づいてくる罵声

20歳くらいの時の話です。夜勤バイト明けで、最寄駅の駐輪場に着いたのはすでに深夜1時すぎ。

すでに電灯は消されており、わずかな光を頼りに自分の自転車を探していたところ、男の人の怒鳴り声が聞こえます。

嫌な予感がしました。その声はだんだんと近づいてきます。必死になって自転車を探します。が、時すでに遅し。

酔っ払ったおじさんが私のすぐ近くで、警察の悪口を言っていました。笑

ハーモニカを吹くおじさん

何となく無視するのもバツが悪かったので、適当に相槌をうっていたところ、いろいろあった後に
「お前、いいやつだな。飲みに行こうぜ」
とまさかの展開に。

コンビニで缶ビールを買って公園で2人で飲みました。

おじさんはどうやらハーモニカが得意らしく、
「リクエストは?」と聞いてきます。
最終的に、童謡のふるさとに落ち着きました。

おじさんはハーモニカを吹きながら泣いていました。

公園で、ハーモニカを吹くおじさんと2人きり。
なんだか滑稽だなと思いました。

そんな事は御構い無しに、
おじさんはハーモニカを吹き続けました。

余談です。
後になってわかったのですが、このおじさん、中学校の先輩のお父さんでした。笑

思い入れが生む価値って個人的なモノ

前置きが長くなりました。

記憶は思い入れを生みます。
そして、思い入れはその人にしかわからないような価値を生むと思っています。

私にとっては、
おじさんがハーモニカで演奏した童謡“ふるさと”は、少し味のある“ふるさと”
でしたが、

おじさんにとっては、
何か特別な記憶や感情と強く結びついた、かけがえのない“ふるさと”
だったのかなと思います。

残念ながら、おじさんが奏でる“ふるさと”に対して、
個人的な思い入れはありません。

ただ今になって思うのが、おじさんにとってのふるさと的なモノは私も持っている気がします。

個人的な思い入れが生む温度差

旅行先で買った靴や服、
昔書いた落書き、
若い頃の武勇伝、
10年以上前の苦労話      などなど

他の人には全く価値のないものかもしれませんが、
自分にとっては思い入れがあり、揺るぎない価値が出来てしまってます。

おじさんの“ふるさと”を思い出しました。

私自身、歳をとればとるほど思い入れが強くなってきてる気がします。また、思い入れは増えていくばかりでなかなか断捨離できません。

思い入れを持つこと自体は一般的なことです。
ただ、プライベートなら全然いいんですが、仕事となると結構厄介な気もします。

私も、本質的な値打ちを疑う事なく歳をとって、思い込みのせいで周囲との温度差がどんどん大きくなるんでしょうか。
少し心配になってきました。

さいごに

断捨離ってモノを捨てることだけでなく、
思い入れを断ち切って本質的な価値観を取り戻す作業なのかもしれませんね。

断捨離は苦手ですが、ミニマリストに憧れます。

未来を向いて、今を生きたいですね。
それではまた。

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