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ザコは退いてろ

こどもの頃から好きになれない言葉があった。

「こうしたいんだ、こういうことがしたいんだ、そうしたらもっとこうなるはずなんだ!」と夢や想像を訴える若者にひとこと、意地悪そうなおじさんが言う。


社会はそんなに甘かないよ。


何だろう。
妙に僕の心を引っ掻いてくる言葉だなと思って仕方なかった。
今ではなんとなくその言葉の不快さを表現できるのだが、こどもの頃は「そんなこと言う必要なんてあるのか」と言いたい(けどなんだか言えない)何かを思っていたと思うのだ。とにかく、オトナってなんでそんなことを言うんだろうか?と謎に思うばかりで仕方がなかった。


最近は言わなくなってきたのかな、「社会はそんなに甘かない」なんて。そもそもダサい言葉ではあるし、「お前が言うなよ」とTwitterとかで叩かれそうな気もする。だからだろうか、あんまり聞かなくなった。どこに消えて行ったんだろうか。そういうセリフを吐く輩がいなくなったのだろうか? そうだと助かるんだけど。




急にこんな言葉を思い出したのも理由がある。

つきまとうように嫌がらせ的な何かを言ってくる人間にまた当たってしまった。
今の言葉で言うなら、アンチってやつだろうか。特に助けるだとか、何か良いことをもたらしてくれるわけでもない人間からの言葉を受けたのだ。
僕に対してアンチが付くって程の人間では決してないのだけど、朝っぱらからアンチコメントをいただいた。ありがてぇよマジで。

こう生きていると、何かしら反対してきたり指摘だけガンガンしてくる人間に遭遇したりするものだ。
というか、それしか無いような気もする。というか、それしか無い。

つーかだよ。
社会というのは、いかにして自分(僕のことでもあるし、これを読んでいるあなたのことでもある)のやろうとしていることをダメにしてやろうかとしてくるものだ。

自分が鬱っぽい時にそれを感じて、ある意味で楽になったことがある。



楽になったというのは、つまりはこういうことで。

僕は、表面的に考えていない裏の無意識な部分において、「自分のやりたいことやこうしたいと願っていることは、小さくもコツコツやっていれば、いつかは成し遂げられる」と思っていたようだ。つまりは、苦労すれば報われるとか、頑張ればそのうちとか、我慢して言うことを聞いていればいつかは花が咲く…的なね。
でも現実はそんなものではない。それが間違いだった。

税金だの支払いだなんだとお金は減っていく一方だし、親の逆撫でするような乾いた言葉は飛んでくるし、友達もいろんな理由で離れて行ってしまう一方だ。孤独を感じる20代半ばに僕は落ち込んでいた。

社会全般、全世界、地球全体、もはや全宇宙、ぜんぶぜんぶがそもそも自分の味方ではないということ。
食べたら太るか病気になる、仕事は失敗するか成功してもダメだしされる。
モノは壊れるし、汚くなるし、ホコリをかぶって使い物にならなくなる。
道を歩けば棒に当たるし穴にもはまる、木を登れば落ちる。
日に当たらないと寒くなるし、日に当たれば日焼けでヒリヒリ痛い。


基本的に世の中なんてそうなっているのだ。
何かひとつのことを守るだけで精一杯だし、何も喋らないで、何もしないでじっとしていたって文句は誰かしらから飛んでくる。

生きていれば「自分なんか、いなければよかった」と思えるように自動的になっているのだと思う。
そういうルールで物事は常に動いていて、僕らを悲しませようとしてくるのだ。


つまりは最初からうまくいくなんてことはなくって、普通にやっていたって悪くなると決まっていた、ということでよろしいかと。
そう思えたら。

どんなものにもひとに対しても、みんな「悪気」があってやっているんじゃないんだなってことがわかり、落ち込んだり悲しんだりしている暇や時間など無い

と思えてきて、ちょっとだけ前が向けたのだ。

マイナスとマイナスを掛け算したらプラスになるように、マイナスな気持ちとマイナスな世の中からプラスになった瞬間だったわけだ。



社会はそんなに甘かないのは知っているよ。
だけど、倒せないほどの強敵でもあるまいさ。
どんなことが起こって、どんなアンチな人間がいようとも、くじけてしまってはいけない。
あいつらアンチはザコキャラなのである。
自分を最初の街から出させまいとして通せんぼしてくるザコでしかないのだ。


なんだよザコめ。
邪魔ばかりしていないで、仕事しろよ!


あーもー作文書いたら元気出たわ。




ザコは相手にしねぇよ、これからの僕は。

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