自分に都合のいい仕事なんてありゃしないのさ
昔から「なんでもまじめにやりなさい」と言われ続けてきたのだが、なんでもまじめにやるのはおもしろおかしくも何ともない。
確かに、僕はまじめなのかもしれないと考える事がある。
自分で自分のことを考える時には何とも思っていないだけど
人から言わせると僕はずいぶんまじめらしい。
やっている事はけっこうなまじめなのだとかで、考える事にしろやる事にしろ、話すことにしろ、まじめだと言われることがあるのだ。
まさか…と考えることがあるが
確かに、考えていることややり続けている事はまじめな部分が見えている場合が多い。…かもしれない。
だけど、自分のまじめな部分って実は氷山の一角だったりする。言葉の使い方が合ってるかがわかんないけど。
仕事についてもまじめに考えているようで、実はなるべく遊びながら仕事をしようと心では思っているし、なるべく楽しんでできるように周りの人に思われるようにしたいなんて思っている。まじめに仕事しようなんて、これっぽっちも考えてはいないのだ。
職場ってのはオツボネさんって人がいる。
オツボネさんはマジメ。マジメでややうるさい。
あれはこうした方がいい、これって間違ってると思うのよ、あそこのパンが美味しくてさー、そんで昨日もお酒飲んでたのよ…。
休憩時もやや声が大きい。
だけど、だからってオツボネさんは悪かない。
いなくても仕事は回ると思うけど、いなけりゃいないで仕事場がちゃんと動かなかったりもするものだ。
めんどくさい事もあるけど、このオツボネさんと協力しないと職場は楽しくないワケである。
しかし、極力関わらないようにする。
そうしないと楽しくなくなるのだな、僕の経験上。
オツボネさんはまじめに考えてるから、オツボネワークをしていると仕事が「作業」になってくる。作業にしてしまって覚えてしまえば簡単だと言いはするけど、別に”仕事を楽にしたいワケじゃない”のだな。
オツボネさんは自分を中心に、仕事が大変になることや面倒な事を避けようとする。そこにすごくまじめになる。しかし、その面倒や大変さを避ける仕事ってのがいちばんおもしろくなかったりするのだ。
仕事にマジメになり過ぎてしまって、まるで自分が仕事のために生きてるみたいになっちゃう。
はっきり言って僕はそうなりたくはない。
高いお金がもらいたいからと一週間頑張る。
そして週末にお金を使って遊んだりするのも何だか違うと…。そう思うのだ。
適度に楽しんで仕事がしたいし、適度に楽しんで生活もしたい。
両方とも半々で、丁度よく生きたいなと思っているワケだ。
そんな風に考えてるとわかると思うが、ちょうどいい仕事なんて存在なんてしないのだな。
ちょうどいい仕事。
というか、都合のいい仕事なんて無いのが現状。
だから、自分で自由に作り出したいなと思っている次第。と考えている。
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