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こどもの頃におもしろかったこと

こどもの頃は盛り上がって話していたのに、オトナになってからだとあんまり話さなくなることがあります。


小学校の頃は体育で着替える時、みんな一緒になって着替えていましたよね。
そうなるだいたい話になるのが、ちんちんがもっこりしているかどうかという話です。

誰それはちんちんがもっこりしているんだと、そして誰より彼の方がちんちんもっこりしているんだと話していました。
そんなことが小さい時はおもしろかったんですよね。

ちなみにちんちんがもっこりしていることをひとことで言うなら「もっこ」と言っていましたよ。
「誰君はもっこだ」「彼君はもっこなんだ」という具合です。


あんまり考えなくなってオトナになってから話さなくなるって事は、「言葉として発音しなくなる」って事なんですよね。ちょっと寂しい。


なぜにか知りませんが、ふとそういうのを思い出して何年かぶりに「もっこ」という言葉を発したわけですよ。
喉が「懐かしい〜」と言うかのようでした。


こどもの頃って不思議ですね。
なんでちんちんがひとよりか大きいというだけでコンテンツとして会話になるんでしょうかね。
うんちが大きいとかね。なんでしょうかね。

まぁ確かに、「大きい」というのはワクワクしますし、うんちもちんちんもなかなかにおもしろい事です。
だし、これは手を伸ばせばすぐに得られるコンテンツでもあるんですよね。
うんちは誰だってするし、ちんちんもだいたいのひとには付属しています。

誰にもわかるし、だいたいのひとが知ってるからだと思うんですよね。

自分から排泄されるってのもおもしろいし、臭いってのもおもしろいのですが、やっぱりそれを“みんながやってるし知っている”ってところがいちばんおもしろい事なんだと思うのですね。

たとえば…学校でも、“みんなが話す事と同じことをしないと自分もおもしろくない”ワケで、やれ、はやっている妖怪なんとかとかキメツのなんちゃらも何が理由でか知りませんが「みんながやってる、見ている」ってだけです。みんなもやりだすなんて、簡単なことなんですけど、そう考えると単純ではありますが、それを「やっているよ」ってだけで、自分もなんだかんだおもしろいのですよね。


ま、こどもがやることですからね。

そういう意味では、うんちやちんちんは話やすいコンテンツなんだと思います。
自分が意識してみなくとも生活の中にあるワケですからね。
おとうさんとお風呂に入りゃ、「あれ、おとうさんにもちんちんがあるやい」ってなるし、普段通りに生活してりゃおかあさんもトイレに行くじゃないか。「わあ、おかあさんもうんこするんだ」ってなる。なんだかそれがおもしろい。

と、不思議に考えて、おもしろく思ってはいますけど、結局のところちんちんもうんこも自分の生活の大事な部分なんだということで、「ああ、なんだみんな同じじゃないか」と、そんなことを言いながらもゲラゲラ笑って安心しているのだと思います。


ただ、オトナになるとそういうのがいっぱい出てきて、やれコーヒーが美味しいよとか、お酒を呑むと酔っぱらうとか、バナナは甘いしゴーヤは苦いじゃないかと、それを楽しんでいますよね。

それが小学校の頃はみんな共通なのがちんちんとうんこだという話で、その話をするとみんな知ってるし反応するじゃないかってのが無性におもしろいのかもしれませんね。



みんなと話すのがおもしろい、これからの僕は。

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