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自分が楽しむ分だけでもプラスで稼ぐという目標

コンテンツ探しをして、これなら自分でもできると思えるのなら「とにかくやってみよう!」と思って披露するようにして頑張ってやってみるといくつかわかってくることがある。

自分だけで自分や友人のためだけにやっていると、効率も何もないと感じるが、それ以外のお客さんに提供しようと考えてやってみると、案外と時間がかかっているなとか、原価が高すぎるなぁと、いろんな「無駄があること」に気づくのである。

単に雰囲気や、作っている時間が楽しいのであればいくらでもお金と時間をかけてさえしてしまえばいいものが作れるし、楽しい時間を過ごす事ができる。しかし、人に提供しようとするとその途端に難しいコンテンツになってしまうのである。


最初のうちはちょっとガッカリする。
お客さんを待たせてしまったり、なかなかうまい具合に提供できなかったりするからだ。
こういう事をしているとわかるのだが、人に対してサービスや商売をしていると、学校では習えなかった事がたくさん存在するものなんだなと思えるのだ。
そして不思議と意欲も出てくる。

もっと利益を上げたいし、それに、自分のコンテンツをもっと人に対してやってみたい欲が出てくる。
喜んでくれる人がいる事、感謝してくれる人、必要としてくれる人がいる事。そういうのがいちいちおもしろくなってくるのだ。

僕が働きに出ていてちょっと悲しく思う事は、仕事ってどこの大学に行くのか、どんな資格を取るのか、どんな人脈を作って、どんなバイトを経験して、その間にどれだけの功績を残す事ができるのかと考えたり話したりしている事だ。

それが一般的な会話なのかもしれないのだけど、僕が思うに、就職をしたり、賢くなったり、お金持ちと結婚する事や、仕事がデキる人と結婚する事が全てではないという事である。


ふと自分で思いついた仕事やサービスをずっとやり続けるかもしれないし、バイト先で学んだ事が自分にピッタリと馴染むかもしれない。
質素な生活が好きな自分に気づいていないかもしれないし、技術職が自分には合っている事に後々になって気づくかもしれないだろ。


僕もいくらか長い間、コーヒーを飲んでいたけど、今は緑茶を好んで飲んでいるし、中国茶なんかも好んで飲むようになった。
(中国茶はまだ自分ではやっていないけど)

そうやって考えてみると、自分が食扶持(くいぶち)にしている事と、「生活の足し」にしていくための収入や、やっていく事はまた別なんだなと思ったのだった。

それで言うと、さっき言ったような就職する事や、お金持ちとうんたらかんたらという望みは、単なる食扶持である。食べることに困らないのがいちばんのことかと思うが、それだけだとつまらない。

生活の足しにしていく事とは、生きる事を活発にしてくれる事である。
たとえば生活の中のレクリエーションは気分転換になって楽しい気持ちにさせてくれるが、逆に言ったら「消費ばかりしている」と思う事があるではないだろうか。

映画に行くとか、テーマパークに行くんだとか、お酒を呑みに行くんだ、レストランに行くんだ、服や靴を買いに行くんだとか、音楽を買う、見にいくとかね。

それらは「消費する事」である。
「生活の足し」にしていく事とは、自分のやっている事に誰かも巻き込んで大きくしていく事じゃないかなと、僕は思うのである。


そんなのって意外と誰もやっていない。
身近に知る事ができるのはYouTuberかな。
彼らはお金のために配信しているという人もいるんだろうけど、自分がやっていることに関して「みんなも知って欲しいやってみて欲しい」という気持ちで動いていることが多い。だから“ネタに尽きない”のだと思うのだ。


どんなにか叩かれる事があるかもしれないし、どんなにか嫌われる事があるかもしれないけど、でも楽しんだもん勝ちなのである。

自分のコンテンツで「とりあえず自分が楽しむ分だけでも稼げたら」それで成功なんじゃないだろうかね?

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