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「諏訪信仰を伝えたい!」プロローグ 明治維新の裏面とコンステレーション

①諏訪大社の簡単な概要

長野県の諏訪郡に鎮座する諏訪大社は全国に約10000社存在する諏訪神社の総本社で、諏訪湖を取り囲むように4ヶ所に配置されています。

昔の諏訪湖の大きさ

御柱祭(おんばしらさい)を筆頭に非常にユニークな歴史と信仰形態を今に残しており、様々な面で今でも注目を浴びることが多い地域になります。

・御柱祭


・精密機器

・こんな御伽噺も

詳細な歴史や文化、信仰形態に関しては今後の記事に任せますが、今回はプロローグとして主に明治維新と日本の近代化の裏面についてお話しさせていただきたく思います。少し重い内容ではありますがお付き合いいただけると幸いです。

②なぜ明治維新?

「諏訪のことを語るのに何故明治維新?」、と思われる方もいるかもしれません。先に結論を述べてしまうと、明治維新には急激な文化の塗り替え(革命と表現する方もいます)という側面があり、諏訪信仰はその「裏面」の影響を強く受けてしまったのです。

諏訪及び長野県の歴史。その中核には現人神「大祝」を中心とした諏訪信仰の存在があります。その権威は諏訪に留まらず日本中に影響を及ぼしたように史料からは考えられるのですが、明治維新の「裏面」によりその詳細な内容がうまく伝わっていないようなのです。

諏訪信仰について書いてく中で

(そんな話知らなかった)
(本当にそんなことあるの?)
(なんでそのことがきちんと伝わっていないの?)

そう感じることが出てくると思います。
少なくとも私が諏訪に友人を案内した際はそのような反応であまり信じてもらえなかった印象です。

ですからきちんと伝わっていない原因の一つである明治維新と近代化についてプロローグとしてお伝えする必要があると感じたわけです。

※まず前提として、私は「明治維新や近代化は悪だった!」ということが言いたいのではない、ということをご理解いただきたいです。
物事にはいつも「表」と「裏」があります。
大河ドラマでよくみられた維新の英雄達の活躍が「表」だとして、そこから日本人の誇りを感じるのも大切なことでしょう。
こと今回の諏訪というトピックに関しては「裏」を見る必要性がある、というだけで、どちらかの側面が間違っているということではないと考えています。

③近代国家とはなんだろう?

前提に前提を重ねていきますが、あなたは「個人が共同体の中で一緒に暮らすのに最適な人数」をご存知でしょうか?

これは人間の脳の容量的に150人だと考えられています。
150人以上は仲間として顔と名前を一致させることができないとされているのです。

さらに深い関係性、以下のような繋がりについてはどうでしょうか?

・(あの人はあれが好きだからこれをお裾分けしよう。家族は4人だから量はこのくらいかな)

・(あいつはあの仕事をしているから言えば手伝ってくれそうだな)

・(あいつはどうしようもない怠け者だから面倒だが俺がいなければな)

・(私はちょっとあの人苦手だからあなたから言ってよ。あなたは仲良いでしょ?)

・(あいつ、将来俺みたいになりたいだとよ。失望されたくないし、変なことはできないな)

これは50人程度と考えられているのです。

これは「ダンバー数」というものです。

その前提からして国とは何でしょうか?

どうして数億単位の容量を抱えることができるのでしょうか?

それは「秩序」があるからだと考えられます。

統一のルール、思想、宗教、常識を広めてその範囲内で動くように教育する、つまり文化的=不自然な状態にすることで150人の仲間以外とも大きな枠組みで共同体になれるのです。

近代国家はその仕組みを最大限に利用して「他国より強く」「他国より豊かに」「他国に侵されないように」、戦力や生産力を効率的に動員するために作られた戦争システムである、という考えがあるのです。

明治維新及び日本の近代化はそのシステムを導入するために京都にいた天皇を担ぎ上げ、その権威による国民の思想統一を行って古代の祭政一致の復活を目指したと考えられているのです。

④神仏分離と廃仏毀釈


しかしここには問題が多々あります。

その一つが「神仏集合」でした。

日本書紀に書かれる百済からの仏像の献上にはじまり、長い歴史の中で当時の日本には仏教の仏と日本神話の神々は同じ存在である、という考えが日本中で広まっていたのです(本地垂迹説(ほんちすいじゃく)。お寺の境内に鳥居があったり、神社とお寺がすぐそばに併設されていたりするのはこの名残といえます。

「私たちは日本人である」という思想統一のために天皇が日本固有の宗教「神道」の最高権威としようとしたとき、元々外来の仏教がそこに集合しているのは具合が悪かったのです。

ですから明治政府は「神仏分離令」という政策を実施し、神道と仏教を切り離しました。あくまで強制ではないとしつつも、仏教を捨てなければ、改宗しなければ生活ができないように締め上げ、江戸時代から広まり始めた国学を持ち出して仏教が日本独自の文化を汚してきたといような風潮を作り出したのです。

仏教をよくは思わない層はどの時代にも一定数存在しており、そういった層、また時代のうねりに飲まれ冷静さを欠いた一部の民衆によりお寺や仏像、文献が日本各地で焼かれてしまいました。

脱線しますが、私はこの動きを知っていたのでコロナとマスク、ワクチンについては非常にデジャブのような感覚を抱いていました。
それらの善悪について述べたいのでなく、強制ではないと言いながら実質従わなければ生活ができないように締め上げる政府やマスコミ、何の疑いもなく呑まれてマスク警察だとか、ワクチンを打った打たないで今でも蔑み合う一部の人々。
まさに歴史で学んだ近代化の裏面と重なり、100年以上経とうが人間は変わらないのだな、と悲しくなってしまったのです。

そのような時代を経ても今現在お寺が日本に存在するのは、時代の流れに上手く乗った派閥や、地域の信仰が厚かったために仏閣や仏像を守り抜いた人々や、壊される前になんとか隠し抜いた人々、一度は信仰を捨てても魂までは売り渡さずに再スタートを遂げた人々がいたからだといえます。

生活ができなくなるかもしれない

殺されるかもしれない

それでも歴史を守り抜いた先人を私は誇りに思います。

⑤現人神「大祝」とその歴史

また明治政府は神道の国教化に際して元々教義のない神道に教育体制を作る目的で、教派神道13派という宗教の集まりを結成しました。
しかし、明治政府は天皇の先祖にあたる天照大神を最高権威に据えようという意図があったのでその多くが反発したり、弾圧を受けてしまいました。

そのうちの一つに出雲大社教があります。

これはアメノホヒを始祖とする出雲国造家の流れである千家尊福(せんげたかとみ)が大国主を祀るために立ち上げた宗派です。天照のみを最高神とする動きと対立するためにこの宗教を立ち上げており、まさに神話に描かれる天孫族と出雲族の対立に重なります。

千家尊福は出雲国造家がアメノホヒの霊魂を継承してきた存在であることを述べており、そういった存在を「現人神(あらひとがみ)」と呼びます。

出雲大社境内の千家尊福像。敢えて足を運ばなければ見ることができない場所に設置されている。
千家尊福像の説明

ここまでで前提が出揃いました。

諏訪信仰の中核には出雲国造家と同様に「現人神」である「大祝(おおほうり)」が存在していました。しかし、ここまで述べてきたとおり、明治政府の統治下で天皇以外の現人神の存在が許されることがないことは想像に難くなく、やはり大祝制度も明治期の動乱で失われてしまったのです。

それだけではありません。

諏訪大社上社の本宮。
そこから少し上がった所にある神宮寺跡。

「跡」となっているのはもう存在していないからで、神仏分離の世の流れの中で焼き討ちにあってしまったのです。


令和4年に行われた諏訪神仏プロジェクト。廃物希釈の影響から隠されてきた諏訪の仏像たちが150年ぶりに公開されました。


諏訪大社上社本宮の本地仏とされた普賢菩薩。仏法紹隆寺にて公開されたもの。
当時の神宮寺迹を伝える図。図の左が神宮寺。
現在の神宮寺迹

上記神宮寺迹写真は下記からお借りしました。

神宮寺とは先人が日本固有の神々と仏教の共存を模索した中で成立した、神社に付属したお寺のことです。

諏訪郡周辺には国宝にも定められる縄文土偶が多く発掘されており、上社(本宮、前宮)の祭祀形態が狩猟的なものが多いことから、諏訪信仰は縄文信仰の発展と考えられることが多いのですが、その実、そういった信仰形態と非殺生を唄う仏教との共存を模索し続けた「タタカイ」こそが特に諏訪大社上社の歴史の中核といえるのです。

縄文ビーナス。茅野市尖石縄文考古館で展示されています。

そうしたとき、日本の近代化の流れよって神宮寺が焼かれてしまったこと、大祝及びその即位儀礼が失われてしまったことはその後の郷土史研究に大きな被害をもたらしたと言えるのです。

⑥諏訪の歴史の一例

繰り返しますが、諏訪地域の歴史、文化、信仰はとてもユニークです。長きの間その中核にいた大祝という存在が顧みられなくなったのは郷土史に限らず日本全体の歴史の損失でもあると思います。

・1万社もの諏訪神社が全国で祀られていて、各地で諏訪が地名となっていること。

・諏訪地域産出の黒曜石が縄文時代に日本各地で交易で使われたこと
(北海道福島町の館崎遺跡、青森県青森市の三内丸山遺跡でも諏訪原産地郡の黒曜石が見つかっております)

・神話において大王家より前に存在したとされる出雲政権の生き残り、タケミナカタが諏訪で勢力を張ったとされること

・初代神武天皇の子で綏靖天皇の兄、神八井耳(カムヤイミミ)の末裔とされる太氏の同族が諏訪大社下社の大祝家金刺(かなざし)氏で、ある地域では神八井耳を諏訪大明神と評していたこと

・仏教の導入に反対して蘇我氏、聖徳太子と対立した物部守屋の一族がこの地まで逃れたという伝承

・桓武天皇の御代、坂上田村麻呂が東北勢力との対決のためにここに祈願したこと

・鎌倉時代には幕府の得宗家として仕え、幕府滅亡後には北条の生き残りである時行とともに足利尊氏に牙を向けたこと

(下記は2024年7月から放送する北条時行を題材としたアニメ。原作者の松井 優征氏は「魔人探偵脳噛ネウロ」や「暗殺教室」の作者でもある)


当時の諏訪大社当主、諏訪頼重

・武田信玄が信濃へ勢力を拡大するためにその権威を必要として諏訪御料人を側室とし、その子が大祝でもある武田勝頼であること

武田信玄の墓とされる場所はいくつか存在します。その一つが諏訪大社上社本宮の神宮寺迹。少しわかりにくいところにありますが是非探してみてください。その際は滑りにくい靴と汚れてもいい服装をお勧めします。

・非殺生の仏教の世の中で肉を食べる免罪符として、鹿食免(かじぎめん)が諏訪大社から出されていたこと

・貴族や武家の間で行われた鷹狩の場として人気を博し、島津家もその影響を受けているという説があり、故に島津の家紋と諏訪神官家守矢家の家紋が似通っていること


島津家の家紋


守矢家の家紋。写真は下記から。あくまで説であることをご承知を。



・歴史上の様々な戦乱に敗れた人物が諏訪へ逃れたという伝承があり、その真偽はわかりませんが少なくとも諏訪という地域ではそういったことがあり得る、と人々に思われていた権威性


それらが明治時代を境に顧みられなくなった、ということなのです。

⑦戦後の歴史教育について

ここからは少し黒いお話になるのですが、第二次世界大戦に敗れた日本はそれまでの教科書を黒塗りにして、神話時代の物語を伝えなくなってしまいました。

また戦勝国や周辺国からの敗戦国民であることの刷り込みとして、日本の歴史を悪人的、土人的、弱者的に教える流れができてしまったのです。

その最たる例が元寇で、当時の日本人が「やあやあ我こそはなんちゃらうんちゃらの家のどうたらでこうたらだから真剣に勝負」などと言っている間に矢で射抜かれまくっていたが、神風のおかげで助かったなどとの宗教側の権威づけの史料を大真面目に学校で教え、わざわざ蒙古襲来絵詞の負けている部分のみを切り出して教科書に載せたのです。

それで日本の教育は戦前の教育から正常になったという錯覚を私たちは持っていたわけですが、実のところ戦争犯罪人として排除されたのは当時の権力者のごく一部に過ぎず、中枢にいた明治維新からの政治家筋や大学施設が研究資料を戦勝国に売り渡したり、民主主義、平和主義に鞍替えすることでその地位を維持したのです。そのような明治維新からの権力構造が引き継がれた上での教育が現在も敷かれているのです。

ですから、私たちが学んできた歴史教育も敗戦国民という刷り込みが加えられただけで結局のところ明治維新の裏面によって失われた文化・歴史は変わらず見過ごされてきたと考えられるのです。

日本人が敗戦国民という刷り込みと、失われた文化・歴史・信仰によって自らの立ち位置が見出せず、「タタカイ」のための手も足もないダルマ状態であると考える層もいて、その様はまるで国譲りに最後まで抵抗した代償に手足をもがれた古事記に書かれるタケミナカタのようにも見えてしまいます。

⑧「タタカイ」とは何か


しかし、そもそも「タタカイ」とは何でしょう?
「勝利」とは、「敗北」とは何なのでしょうか?

以下の記事で有料にしてしまった部分ではありますが、「タタカイ」にはいくつかの種類があるのです。

「タタカイ」、と聞くと殴ったり、武器や兵器を使って相手の命を傷つける動作を連想するかもしれません。

しかし、それは「タタカイ」の一つの側面でしかありません。


教育や思想、娯楽や衣食住。インフラ上重要な土地や軍事基地周辺の購入。そういった諸々により敵を不抜けにして沈黙させる「超限戦」について触れました。

他にもタタカイは存在します。

・誘惑や甘言に流されそうになる自身の弱さとのタタカイ

・時代のうねりの中で自らの魂を守り抜く時代とのタタカイ

・自身の信念を曲げてでも争いを終わらせる平和のためのタタカイ

・相手がどんなになっても関係性を切らずに縁を繋ぎとめようとする愛というタタカイ

そして、思想というタタカイ

皇室が二つに分かれた南北朝時代。
南朝方で後醍醐天皇に従って戦った楠木正成。
南朝は敗北したとされますが、その勇姿は後世天皇中心の権威体制が敷かれた明治時代に再度人々に広まり北朝の流れである当時の体制で南朝が正統であったと認めさせたのです。

武力によるタタカイに負けたとしても、数百年越しで思想というタタカイに勝利したといえるのです。

そのようにタタカイにはいくつかの種類があると知った時、諏訪、そしてその神官家である守矢家がずっとずっと「戦い」続けてきたことが見えてくるのです。その戦いについては今後の記事で記述していきます。

そして時代の流れや世代交代、テクノロジーの発展による日本文化の見直しによって、地域ごとの文化や歴史が再び顧みられ始めている現代まで諏訪信仰の痕跡が残り続け、再統合され、広まりつつある現状をみれば、本当の勝利者が誰であったのか再考の余地があるといえるでしょう。

まさに「とある少女」が述べたように。

私は心の中で言う。
「人の目には敗北者に見えても、その人達は本当の勝利者なんだ」

⑨コンステレーションと諏訪信仰


それにしても不思議だとは思いませんか?

この記事のように、そして私の書いてきた全ての記事のように、時代もジャンルも項目も次元も異なる事象たちがまるで一つの物事であるかのように語ることができてしまうこと。

詳細は改めて、とさせていただきますがこれはユング心理学における「コンステレーション(星座)」という現象で、繋いでいるのは人と人との関係性(「地上の星」たち)なのです。


「すべてが繋がっている」

「だから起きるすべてに意味がある」

世界とはそういう「作品」なのです。

諏訪の神様はそういうことを教えてくれる存在なのです。

「自らの疑いに勝ち、信じるものによって立て。
起きる事を信頼せよ」と。

ほらね?

あなたがもしもこれからも私の記事を読んでくださるなら、私は私の見ている星座を全力であなたにお伝えします。

読んでくださりどうもありがとうございました。
よろしければ他の記事も。

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長文になってしまいましたが、どうもありがとうございました。

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