kiniko

しさくのなか。

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最近の記事

一体助けられたのは誰。

仕事で時々恵比寿駅を利用する。 東口の方。 かの有名な 恵比寿ガーデンプレイス側の改札ユーザーだ。 この駅を利用するのは月に数回だし、 利用し始めたのも最近のこと。 と言っても数ヶ月経つ。 先日、朝の通勤ラッシュを フィニッシュし ようやく改札を出られるゴール!寸前 という時に名前の付け難い 不思議な現象に襲われた。 目の前から 「スミマセーン」 と見るからに日本ではない どこかの国の方。 「やばい…やめてくれ」 大学英語?いや、高校英語で 終わっているような私をな

    • 語彙力の含む意味

      先日、語彙力がありますね。 と言葉をいただいた。 語彙力というのを考え出すと 難しいなと思い ここでアウトプットを試みる。 語彙力は物や事象を説明したり、 ある言葉を他の表現に言い換え 相手や場面にあわせて説明、表現することが できる力のこと。 と意味は書かれている。 なぜ、難しく感じたかは 「語彙」という文字の意味に 引っ張られたから かもしれない。 語彙とは単語のこと。 単純に考えると、 語彙力とは単語を どれだけ駆使できるか。 その場合、頭の中に 常駐してい

      • 私にはもう作り出せない音

        あの頃には普通にあったのに 気がついたら 失くしているものがある。 雨の音が好きです。 ちょうど、傘の布地の張りと 同じくらいの強さで降る雨。 激しく叩きつけるでもなく 俗に言うしとしとでもなく、 傘の上で踊る雨の音が好き。 田舎で育った私は 雨と言っても すぐには傘を差さない。 これはびしょ濡れだ! 降参!となったら差す温度感。 でも東京にきて思ったのは このくらいの? と思う雨量でもほとんどの人が 傘を差すこと。 皮膚の敏感さが 違うのだろうか。 煩わしさ

        • 進まないとわからない。

          知らない土地を訪れて 地図アプリを開くと 自分の居場所と 目的地を教えてくれる。 目的地までの道のりを 調べることもできるのだけど 道端に音声が流れ出しては 気持ちも落ち着かないので 普段は案内を使わない。 あの青い丸に頼るのだ。 いや、音声は案内にするために あるものなのだけど あの音声が私との コミュニケーションを超えて、 街に響いてしまうことに 少々の抵抗がある。 以前、大都会東京駅前で iPhoneの声が響き 血圧が上がる思いをした。 夏だったから もれな

        一体助けられたのは誰。

          聴いてもらえる安心と聞かれない安心。

          どちらが大切という話ではなく、 どちらも大切という話。 どちらも表現できる力があると 世界は少し安心を 手にすることができる。 ここ数年、親の入院や 難病の闘病を経験し 今までの普通が 普通でなくなった。 今回の「きく」はまさにそれ。 今まで、人の話を聴くのは 好きだったし、 むしろ聴き上手と言われることも 多かったと思う。 だからこそ、人の話を聴くことは 自分にとって意味あることで、 その向き合い方を考えてきた。 もちろん看護師という 職業柄もあるだろう。 で

          聴いてもらえる安心と聞かれない安心。

          三十路研究。思いもよらず広がるおしり。

          大学生の頃からほぼ体重が変わらない。 体重が変わらないからといって 何も変わらないか というとそうではない。 体脂肪! そう、重さとしては現れないのに 着々と私の組成は変化を遂げた。 学生時代の運動部で鍛えたはずの 全身の筋肉たちは 己の存在意義を忘れ脂肪と化した。 しばし目にする体重測定では 察知できない合間に 取り返しのつかない量を 蓄えてしまったのだ! でもそんな自覚はあった。 しかし、そんな私にも さらに追い討ちをかける出来事が。 電車で座席に腰をかける

          三十路研究。思いもよらず広がるおしり。

          おひとりさまの居場所。テトリスのように一つの穴に埋まろうとして。

          先日、京都の貴船神社に 初のお参りに行きました。 貴船口から上までの道を歩きたくて バスに並ぶ長蛇の列を横目に 歩を進めることに。 30分くらい歩いて、本社へ。 奥宮に行く頃にはお腹もぺこぺこで、 修行だ〜って思いながら進んで行った。 途中、参道があって 食事処や旅館が所狭しと並んでいる。 お参りを終えたら、 何を食べようかななんて 考えながら。 無事に参拝を終えた帰り道。 最初に目に留まった お店の中には女性が一人。 お仲間発見! アラサーおひとりにとっては

          おひとりさまの居場所。テトリスのように一つの穴に埋まろうとして。

          分断されないおんがくのかたち。

          分断という言葉。 最近よく聞かれるので あまり多用したくはないけれど。 この状況を表すのに とても適していたので 使ってみた。 音楽ってどこか属性がある。 聴く側に。 年齢とか性別とか 地域とか趣味とかいろいろ。 私のこれまでの音楽遍歴は 学生時代のジャニーズから始まり その後、邦ロックへと移った。 ジャニーズ時代を思うと 老若の女性と時々そっと横にいる男性陣。 そんな属性だったように思う。 邦ロックに足を入れた頃は 人気なロックバンドなんかを 聴いたりしていたの

          分断されないおんがくのかたち。

          本を読めなくなった時に読む本があるならば、音楽を聴けなくなった時に聴く音楽がある。

          数年前、母が難病になった。 結果的に未だに 診断はついていない。 一時期、命の危機に瀕したことも。 自分の仕事もある中で 母の入院生活をサポートした。 当時の私は26歳。 母は50歳。 あの歳で母との別れる可能性が あるなんて思わなかった。 明日死ぬかもしれない、 治療法が見つからない毎日に 日常が一変した。 自分の人生を生きる余裕はなかった。 母のことで精一杯だったから。 気がついたら、 外界から情報を 取り入れることをやめた。 テレビに映るキラキラした情報、

          本を読めなくなった時に読む本があるならば、音楽を聴けなくなった時に聴く音楽がある。

          究極のバンドTシャツ。

          こんにちは。 今回お話しするのは、 私が好きなとあるバンドのこと。 バンドに限らず どんなアーティストであっても ファングッズなるものがある。 大学生の頃の私は アイドルを追いかけていたので 毎ツアーの増加するグッズ。 毎年私の部屋を見る顔が増えるうちわ。 グッズを持っていれば そのツアーに参戦した証。 ライブ前にひと戦いあるのが常だった。 そんな私も歳を重ねて 社会人を機に、 どこまでも積める世界に絶望し サクッとアイドルファンを卒業。 それからは邦ロックで 好き

          究極のバンドTシャツ。

          もうきっと見つからないもの。

          この音楽があれば生きていける。 そんな存在はいますか。 ここ数年、同じアーティストの音楽を 聴き続けている。 それは飽きないからでもあるし それらを聴くことで、 自己内省することができるから。 いつからか、音楽に耳馴染みや リズム性を求めることがなくなった。 表面上にある表現の奥への 入り口に気がついたから。 表現された楽曲と対峙することでの 自分の発見や想いに気づくこと。 音楽や芸術に触れることの 醍醐味であるとわかってきた。 中学、高校時代はAAAやUVERwor

          もうきっと見つからないもの。

          じぶんごととたにんごとの間にあるもの。

          日常の出来事から思い浮かんだ考えが たくさん湧いてきてしまう現象に襲われ こうして文字にすることで救われている。 先日、駅ビルの本屋を物色中の出来事。 これはもはや私の中でのルーティンで 本屋があれば立ち入らない選択肢はない くらいのようなもの。 応援しているアーティストおすすめの本 を探すためという目的はあったけれど、 その本もすぐに発見して心が躍る。 そんな時を過ごしていた。 そして突然になる警報音。 その声は 「地下2階で火災報知器が発動しました」 と伝えている

          じぶんごととたにんごとの間にあるもの。