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じぶんごととたにんごとの間にあるもの。

日常の出来事から思い浮かんだ考えが
たくさん湧いてきてしまう現象に襲われ
こうして文字にすることで救われている。

先日、駅ビルの本屋を物色中の出来事。

これはもはや私の中でのルーティンで
本屋があれば立ち入らない選択肢はない
くらいのようなもの。

応援しているアーティストおすすめの本
を探すためという目的はあったけれど、
その本もすぐに発見して心が躍る。
そんな時を過ごしていた。

そして突然になる警報音。
その声は
「地下2階で火災報知器が発動しました」
と伝えている。
店内の音楽は消え、静寂。

数秒後にふと
ん??静寂?と違和感を覚える。
その場に慌てる人はいない。

みんな各々の関心のある棚の前から離れない。
私もその一人。

2回目の警報が鳴る。
本当だったら、という
考えが頭の余白に入り込んでくる。

そんなことを考えて、
この出来事がじぶんごとになるのは
どの段階からなのだろうという
考えが浮かんだ。

まだ、たにんごとの自分と周りのお客さん。
これが騒々しく逃げ惑う”じぶんごと”に
なるのはいつなのだろう。

その後告げられた、誤報の知らせ。

その場は何事もなく
警報前と後で大きな変化もなく
時間が流れる。

じぶんごとになった人にとっては
それは誤報ではなく

たにんごとだった人にとっては
誤報で終わる。

誤報を超えた解釈が、
人を本気に、
じぶんごとにさせるのだろう。

これは結構わかりやすい例で、
命がかかっている。

このまま警報が本当で、
逃げ遅れたら火災に巻き込まれる可能性。
それを意識した時に、
逃げると言うじぶんごとの行動につながる。

ふと日常にこの出来事を棚下ろす。
命がかからない場面でも、
日々小さな警報は鳴っている。

それに気がついて行動する人もいれば
誤報だといって行動しない人もいる。

それがわかる時はいつだって、
何か起きた時だから
じぶんごと行動をできていた人が
救われたりするんだ。

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