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私にはもう作り出せない音

あの頃には普通にあったのに
気がついたら
失くしているものがある。

雨の音が好きです。
ちょうど、傘の布地の張りと
同じくらいの強さで降る雨。

激しく叩きつけるでもなく
俗に言うしとしとでもなく、

傘の上で踊る雨の音が好き。

田舎で育った私は
雨と言っても
すぐには傘を差さない。

これはびしょ濡れだ!
降参!となったら差す温度感。

でも東京にきて思ったのは
このくらいの?
と思う雨量でもほとんどの人が
傘を差すこと。

皮膚の敏感さが
違うのだろうか。

煩わしさの限界って
その地域によって違うのかもな
なんて思ったり。


その日も傘に身を守ってもらいながら
街を歩いていた。

前から4歳くらいのお子さんを
連れたご家族がいた。

その子の靴は長靴でもなく普通の靴。
撥水加工があるでもなく
布地の雨を含んだら
染み込みを許す靴。

けれど、その子ときたら
何のためらいもなく
水溜まりに入って歩く。

そして、また自ら水溜りに
入りにきた道を戻るを繰り返す。

親からしたら
絶叫案件なのかもしれない。

けど、お子さんは
嬉しそうに楽しそうに
水溜まりで遊んでいる。

「ピチャ ピチャ」
なんだか楽しい音だなと
思って眺めていた。

あ、そうか。
この水溜まりに入る
ピチャピチャって音
私にはもう作れない音なんだ。

いや、作れなくはない。
作らない音なんだ。

と何故か切なくなった。

大人になって
汚れたり、濡れることをわかって
自ら水溜まりを
歩くことなんてないもの。

小学校からの帰り道。
長靴でもないただの運動靴で
水溜まりに入った時の
情景が浮かぶ。

自分の中にも
確かにあることなのに
今目の前にはもうない。

忘れていたけど
そういうことをやらなくなって
自然ともう出会えないものが
世の中にはたくさん
できているのかと思ったら

それは悲しみだった。

悲しみには続きがあって
大人がまとっているものが
見える窓でもあった。

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