光差す道を選ぶ

久しぶりにfacebookを開いたら、昔どっぷり浸かっていた、とある業界の知人の煌びやかな近状が更新されていた。ここは匿名の場所なので詳しくは語るまいが、要するに、その知人とやらは、超ド級の生まれながらセレブなんである。

「昔の自分は、ここで成り上がろうとしていたのか・・?」というのが今の私の正直な心境である。

そこは、「努力が報われづらい場所」であった。その知人が努力していないというわけでは決してなく、土俵に上がれるか上がれないか、そもそもが貴族か否か、みたいな、そういうカーストが存在している世界ということである。でも誰もそれを公には語らない。万人に開かれているように、見せているのだ。そして、いつだって若者は無知である。

私は、典型的な「頑張り屋」だった。耐えることのできる子どもであった。わかりやすくグレるまでいけないほどには結果も出た。それでも親のために走り続けた教育虐待による生きづらさは、若かった私に「努力は自分を削る」という刷り込みを強固にした。そうして、生きづらさから自由になるための、最後の砦は「才能」であると、信じた。自分には「才能」があると、信じることで、生き延びた。

後悔でも懺悔でもないけれど、当時の自分を抱きしめて、全ての間違いをほどいてやりたい。あるいは、あの経験があったから今気づいているとしたら、抱きしめて、延命したことに礼を言い、労ってやりたい。

その業界を抜けてからも、ブラック企業が続いたり、本当に報われないことの多い、苦しい、暗いトンネルのような20代だった。プライベートでは常に愛着障害に苦しみ、仕事では過労により適応障害を3回も繰り返した。辛かった。でも立ち止まることが、できなかった。立ち止まったら、二度と動けなくなりそうで。

私の本当の才能は、努力できることだったのに。
「才能」に目がくらんで、本当の資質を他者の手に委ねてしまっていた。
栄誉を手にさえすれば、愛されると思っていたから。

それが間違いだと気づかせてくれたのは『鬼滅の刃』の黒死牟戦だった。
私は、自分が殆ど「鬼化」していたことに気が付き、大量の涙と共に、目が覚めた。初めて、自分に刻みこまれた「エゴ」の存在を外側から直視した。
それとほぼ時を同じくして、2つの重要な活動を通し、「内省」と「人との出会いと別れ」を同時に通過していく中で、少しずつではあるが、確実に変化していった。

私がやってきた内省は、日々の努力の結晶で、今の幸せは、吹けば飛ぶような才能ではなく、誰の為でもない、自分の幸せとは何かを考え抜いて心から望んで掴んだものだから、そう簡単には失われないのだ。

私がどんなに努力しても、その大切な「活動」で、出得る結果はたかが知れている。もしも1番を決める闘いだとしたら、1番にはなれないことが最初からわかっている。昔の私は「才能」で1番になれるかもしれないと思っていた。

それでも、私は自分の「1番」になることはできる。私はその活動を通じて、自分史上最も恩恵を受けることができる。自分史上最も感謝し、最も継続し、最も努力することができ、最も学び成長し、与え合い、愛し、幸せで在ることができる。
自分がそうと決めた瞬間から、自分の在り方は全て選択可能だからだ。
山も谷もあろうが、その道で努力できることそのものが、大変な幸せであるからだ。

望んで飛び込んだ「あの業界」で、私は生涯の親友にも出会ったし、沢山の得難い経験もさせてもらえた。けれども、そこは、あまりにも光強く闇が深く利害関係が複雑で、私の努力が最も報われる場所ではなかった。ただそれだけの話だ。

自分で自分を磨き、輝きたいと自然と思える道を選ぼう。誰かの1番にはなれなくても、この中で自分が1番幸せと感じる自分で在りたいと素直に思える場所を選ぼう。
いつか、「私は努力してここまできたの」と、笑顔で言える自分を心に描いて。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?