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神仏がいるのに、なぜこの世に苦しみがあるのか?

 私は仏教徒でなければ、クリスチャンでもありません。どこかの宗教を信じているのではなく、若い頃の神秘体験を機に、スピリチュアル的な思考に至りました。

 無神論者だった頃から思っていたのが、『神仏がおるなら、なんでこの世に苦しみはあんねん』って事です。
 キリスト教だと、『アダムとイブが禁断の果実を食べたから』とかよく分からないことをいいます。聖書は根拠が無いので信用できませんね。
 では、仏教はどう言ってるかというと、これは宗派やお坊さんによって表現は変わるでしょうが、『お前の問題やろ』です。
 どういう事なのか、私なりの解釈を説明します。
 人は二元論で物事を見ています。
 「あれは良い、これは悪い」とか、「好きだ嫌いだ」と言って、色んなものを二極化します。これを、「分別」と言います。
 この考え方が、「この世は一切皆苦である」という結論を導き出すんですね。だから、その考え方をやめて、無分別の視点を持ちましょうって事です。
 ヒンドゥー教にも似たようなものがあります。
 不二一元論といって、『この世界は夢幻である事に気付こう』と説きます。
 この世界の根本原理、すなわち真理は、自分自身であるという『梵我一如』に至ろうという宗派です。
 私が経験した神秘体験は、この結論と一致しています。
 スピリチュアル界隈で言う「ワンネス」も、この結論と同様ではないかと思います。
 ただ、それらを知ったとて、生きるのが苦しい事に変わりはありません。
 日本では災害で人が苦しみ、海外では戦争で人が苦しんでいます。
 人生は苦行です。大事なのは、いかに生きるかです。それについて、偉大なる哲学者・ソクラテスはこう言いました。
 「善く生きる」
 私が思うに、いつ死んでも後悔のないように生きるということかと思います。
 どうやったら、今日が命日でも悔いが残らないか。それは、愛の為に生きるという事です。

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