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渡海の血

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2018年6月の記事一覧

3-1

Kは北海道A市の、研究所に務める父親と、比較的裕福な家庭の長女との間に生まれた。頭が大きすぎて立ち上がるまでに少し時間がかかり、首が細いために自然と上を見るようになり、さらに口もよく開いていた。父親は酒造会社で蒸留技術の研究をしていたが、Kが小学校に入学したくらいの頃白血病で亡くなった。その頃は2つ下の妹M季の生まれた直後であり、Kもほとんど父親の記憶がない。母親のR子は美人で気が強い女だったので

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3-3

Kが帰宅した時には既にR子も帰宅し夕食の用意をしていた。妹は留守だった。Kは居間に座り、机の上に置いてあるざるの、きぬさやの筋を取り始めた。沈黙が長いこと続いた。母が自分の姿を見ていたのかは定かではなかったが、ともかくKには母に対して言いようのない申し訳なさを覚え、その場にただ居ることができなかったのである。と母は口を開いた。K、と声をかけるとR子はKの目の前に座った。母さんが働いている姿は友達に

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3-2

Kの住む地域は川縁の長屋で放課後には子どもが路地にたむろする。さきの大戦による放射熱のような日本人民の動員はその破綻ののち、人民の質自体を熱変性させたようである。ましてや敗戦後である。発破で岩盤を崩したあとの土壌に微生物が増殖し草が生い茂るように、緊張を取り払われた空間には人間の息遣いが溢れた。それは自由と呼べるやうな代物ではなく、駆り立てられた人々は先を争って生きることを優先した。家族もまた然り

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2-5

Y美は順調に高校に進学した。Y美が進学するときに、S夫は一等大きな鶏を絞めて調理したが、その姿は絶対に子どもには見せなかった。好奇心の強い末の弟Rは密かに近寄っていこうとしたが、母親のかつてない厳しい態度に驚かされた。K美には、本質的な生の超克を知るのは、まだ先のことに思われたからだった。自ずと繰り返される日常のなかで刷り込まれる生の循環と、その理への畏怖こそが、理そのものを維持する力とつながる。

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2-4

Y美とN美が小学校に入学する頃にはさらに二人の男児が誕生した。Y美はN美の手を引いて往復4キロメートルの通学路を毎日1時間半かけて歩いた。N美が時折立ち止まって草むらや空に目をやるので、そのたびにY美は手をひっぱらなければならなかったが、N美にはけが一つなかった。むしろ砂利道で転んでひざを擦りむくのはY美のほうで、それも大抵はN美をかばおうとする時のことが多い。町の通りのオートバイが近づいてきて、

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2-3

農耕馬として、フランス原産のブルトン種と北海道産馬との混血の馬を二頭購入したS夫は1ヘクタールの土地の耕作をはじめた。N町の職員からはしきりに酪農を勧められたが、それは頑なに断った。彼には水牛のことが思い出されたのである。見た目は明らかに違っていても、この土地の牛たちのその瞳を見ると、水牛のことは否応なしに思い出された。代わりに養鶏をはじめた。これはE県に居た頃からのことで、小さな檻に二羽、放して

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2-2

S夫は直ちに帰宅しK美に、北海道入植の意志を告げた。K美にとっては晴天の霹靂ではあったが、彼女には選択の余地が無いように思われた。義母との良好な関係を差し引いても、このままこの地に留まることには不安があったのは、彼女が大いにS夫の境遇に憤っていたからである。しかし彼女はそのようなことをおくびにも出す人間ではなかった。S夫にも不安はあった。未開の土地を開拓することに必要な知識もなく、役に立ちそうなも

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2-1

K美がやがてS夫の妻となる可能性については、両家でそれとなく示し合わされていたようである。S夫の帰還の知らせはすぐさま、その地域の世帯に広まったが、その知らせからK美への、K美の母からの指示は、速やかすぎる印象を受け、かえって恐縮するK美に対してS夫は同情した。
S夫は改めて、家長である長男に対して、帰還の挨拶をしなければならなかった。S夫が母に連れられて兄の部屋へ、洗いざらしの白いシャツを着て行

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1-5

捕虜となってからの2週間、S夫は熱病に苦しめられた。それは極限の緊張から別の緊張への橋渡しの際のわずかな弛緩時に来る肉体の自然な反応であったうえに、水牛の肉という栄養を補給することからくる身体の正常化と、心理的な拒絶反応でもあったかもしれない。うなされながら見る夢の中で彼は何度も水牛の姿や手触りを感じた。その乳の味、端綱を引いたときの首の重さまでがしっかりと身体に記憶されており、目覚めるとかの水牛

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1-4

戦況は確実に悪化し、S夫達の部隊は宿営地を捨てて行軍を余儀なくされた。S夫は水牛を伴って、ゆうに40キロを超える荷物を背負い密林のぬかるみを歩き続けた。ゲリラ戦は楠木公の独壇場である。知略を尽くし敵の心理の虚をついて出し抜く。戦闘は最後の手段であったが、S夫は迫り来る死の恐怖を自らの憧れで彩る欲望に抗って歩き続けた。いずれにせよ彼の楠木公への憧れの本質はその大義にあった。弱きを助け強きを挫く、しか

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