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戦況は確実に悪化し、S夫達の部隊は宿営地を捨てて行軍を余儀なくされた。S夫は水牛を伴って、ゆうに40キロを超える荷物を背負い密林のぬかるみを歩き続けた。ゲリラ戦は楠木公の独壇場である。知略を尽くし敵の心理の虚をついて出し抜く。戦闘は最後の手段であったが、S夫は迫り来る死の恐怖を自らの憧れで彩る欲望に抗って歩き続けた。いずれにせよ彼の楠木公への憧れの本質はその大義にあった。弱きを助け強きを挫く、しかしその最期の鮮烈、20万に対し700余の兵で立ち向かう、現在では諌死とも解釈されるその行為は、彼の死に対する心理を、意味づけにおいてなくてはならないものとしたのは間違いない。彼は生を、意味あるものとしたかった。だからこそ度重なる同僚たちの、上官への進言、追手へ反転して玉砕覚悟の戦闘に対しては冷静に対処できたのである。今や彼は上官にとって信頼の置ける部下であった。
しかし生命の維持において限界は来る。それは敵の銃弾ではなくて飢えという形をとった。行軍先の村で彼らは補給と称して掠奪を行った。歩くことのできなくなった兵士に、必ず食料を持って来るから、と言って放置した兵士の数も既に両手では足りないうえに、誰が食料を運ぶかという案件も放置された。場所を変えながら補給と言う名の掠奪をはじめて索敵しながら、レーダーが感知する音声が徐々に鮮明になってくる。その鮮明は彼らの掠奪における怒声に変換された。もはや現地人の恐怖そのものである自分たちは、彼らの国の言語ではなく、はっきりと母国語で彼らの母親や父親を罵倒するのであった。
そうしたなか一つの集落で、既に自分たちが包囲されていることを知ってなお、敵は攻撃を仕掛けない。それは現地人の解放という大義のもと、そこを戦場にすることの忍びなさが、薮向こうの蚊柱の全て、近づいてはらいのけようとすると消えて無くなるような曖昧模糊とした存在の、意志であるように感じ取られた。迫り来る餓死の恐怖のなか、S夫は水牛を屠殺し食することを進言した。上官の許可は早かった。
彼は正面から水牛の頭部に向かって銃口を向け、すまん、と言う一瞬の後、引き金を引いた。水牛はばったりと倒れ、流れ出た血がS夫の泥まみれのゲートルを汚す。彼らが敵兵の捕虜となり既に戦争の終結したことを知らされたのはそれから2日とたたなかった。

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