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捕虜となってからの2週間、S夫は熱病に苦しめられた。それは極限の緊張から別の緊張への橋渡しの際のわずかな弛緩時に来る肉体の自然な反応であったうえに、水牛の肉という栄養を補給することからくる身体の正常化と、心理的な拒絶反応でもあったかもしれない。うなされながら見る夢の中で彼は何度も水牛の姿や手触りを感じた。その乳の味、端綱を引いたときの首の重さまでがしっかりと身体に記憶されており、目覚めるとかの水牛が死んでいることを思い出すまでに時間がかかるのだった。やがて水牛は薄い、なめした皮のようにべったりとS夫の背中に貼り付いて首筋に息を吹きかけるかのような錯覚をS夫は味わうようになった。しかしその吐息が怨恨を意味するのではなかった。あくまでも運命を享受するものの静かな確信として、楠木公の甲冑の内側に染み込んだのである。
帰国は順次進められた。初めて見る連合国軍は、蚊柱のような姿ではなく、生身の感情を持った人間として、少しばかりの同情と、抑えきれないS夫たちへの暴力衝動はあったものの、人間のそれはS夫にまた、楠木公の幻影を呼び起こさせた。状況や立場によって敵対したり協力したりする、そしてそれは死まで司る強固な枠組みであった。しかし彼にはその理不尽への怒りが湧くことはなかった。彼には南国の経験はあまりに鮮烈で、敵兵士の振る舞いは拍子抜けするほど、同僚の彼らに対する憎しみとは比較にならないほど、当然暴力はうけたものの穏やかだったのである。彼らは狂気に侵されていなかった。それは帰還の手続きの円滑に見て取れた。彼らは何もしないことで、殺人の苦痛をゆるやかに放棄することもできたのである。
2ヶ月後S夫は帰還し、無料の復員列車に乗ってE県にたどり着いた。ひんやりとした秋の風がS夫の肌を撫でたとき、背負っていた荷物の重みを強く感じた。出征前と見た目はあまり変わらない駅を出た広場から見渡せる山々の青さは、それまでの経験との圧倒的な隔たりを確認させた。
生家はその左手にある鶏舎が取り壊されているほかは特に変わりはないように見えた。
家から姿をあらわした母はS夫の姿をみとめたとき、はじめそれを息子だと認識できなかったようで表情に恐怖の影が差した。半ば呆然とした表情のS夫は、しばらく忘れていた発声を、改めて試みて、E県の方言を思い出したいと考えた。しかしその前に母は息子の袖を引いて家屋へと連れていったのである。
土間は暗く静かだった。居間の奥から、今や家長である長男が顔をのぞかせ、一言、帰ったか。と言ってすぐ姿を消した。
顔を洗おうと表へ出て、井戸に差し水をする。水が出てくるまでの間も静寂はS夫を見つめているように感じ、改めて背中の水牛の首を、感じずにはいられなかった。木桶に水を溜めて一心不乱に顔を洗うのであるが、顔の皺に染み込んだ泥は容易に落ちなかった。ややもして後ろに気配を感じる。隣家の娘K美であった。
お母さんがこれ持ってけって。
手渡されたのはふたつの伊予柑であった。
K美の顔と伊予柑を交互に眺め、S夫は一つを受け取って皮を剥いた。それを二つに割って、一つを口に入れる。それは慣れ親しんだはずの果肉であったが、思い起こされるのは南国の、魚肉を加工したような舌触りのそれであった。S夫はこのとき、過去と同じものが、同じには体験できないことを知ったのである。

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