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S夫は直ちに帰宅しK美に、北海道入植の意志を告げた。K美にとっては晴天の霹靂ではあったが、彼女には選択の余地が無いように思われた。義母との良好な関係を差し引いても、このままこの地に留まることには不安があったのは、彼女が大いにS夫の境遇に憤っていたからである。しかし彼女はそのようなことをおくびにも出す人間ではなかった。S夫にも不安はあった。未開の土地を開拓することに必要な知識もなく、役に立ちそうなものといえば戦中の塹壕掘りで身につけた程度のものであった。しかし彼は準備をはじめ、なけなしの金を手に入植の手続きを済ませて列車に揺られ、北海道のN村にたどり着いた。そのときK美は既に第一子を妊娠していたのである。
村役場にたどり着いたときに、自分たち同様、入植目的の家族がひと組居た。その家族はS夫夫婦より一回りほど年上で中学入学くらいの男の子が、敵意を持つような表情でS夫夫婦を眺めていた。その母は赤ん坊をおぶい紐で肩に巻きつけており、赤ん坊を刺激しないように静かに会釈したが、結局赤ん坊がむずがってずり落ちるので、巻きつけられた貧弱な紐はいまにも崩れそうだった。
国からの助成と現地の指導によって入植は進められることになっていたが、S夫に割当てられた土地はその役場から四キロメートルほど離れたまさに原野であり、しばらくはそこに最も近い廃屋に滞在することになった。ようやく荷を下ろした夜、S夫は自分の胸の高鳴りを聴いた。E県を、兄の罵声を受けながら飛び出してから既に二週間が経過していた。振り返らずにここまでの道のりに彼を駆り立てたのは、小作農同然に扱われることへの憤りではあったが、彼は自分がどうしてそれほどまでに憤るのかはわからなかった。元来無口でさほど自分でなにかを決めてやってきたわけではない。それは正義感に近い感情であったかもしれない。また国家施策に直接的に関わることと無縁ではなかった。彼には大義が必要だった。大義があるからこそ彼には成功も、条件として備えられているという気がしたのだ。S夫は馬を買いに行かなくては、と考えながら、ゆっくりと眠りに落ちていった。

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