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K美がやがてS夫の妻となる可能性については、両家でそれとなく示し合わされていたようである。S夫の帰還の知らせはすぐさま、その地域の世帯に広まったが、その知らせからK美への、K美の母からの指示は、速やかすぎる印象を受け、かえって恐縮するK美に対してS夫は同情した。
S夫は改めて、家長である長男に対して、帰還の挨拶をしなければならなかった。S夫が母に連れられて兄の部屋へ、洗いざらしの白いシャツを着て行った時に、長男は極めて尊大な態度だった。それは終戦によって失われた家父長制度上の威厳が、逆説的に帰還兵には有効であると考えているように見て取れた。S夫に渡せる田畑はもう残っていないが、彼さえよければK美と世帯を持って、家で暮らしてもいいという事であった。この家の男手は戦争によって長男とS夫のみとなり、残された田畑を耕す小作人としてS夫の運命は保証されているようで、母はその酷薄な待遇に涙を流した。
やがてS夫とK美は世帯を持ち、家屋からやや離れた農機具置き場だった小屋を改装して住み始めたが、彼らの立場は小作農同然であった。K美は従順であったので、S夫の母には気に入られたが、既にあらゆる決定権は長男に移譲されており、酷薄とも受け取られるS夫への態度はますます母と、K美との関係を強めた。
そんな折、帰還兵の北海道開拓移民の募集を目にしたのは、S夫が長男に指示されて局留めの郵便物を取りにいった時のことであった。
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