あや

主婦。子育てがひと段落する時期に差し掛かり、感じたこと学んだことを書いておきたくなりま…

あや

主婦。子育てがひと段落する時期に差し掛かり、感じたこと学んだことを書いておきたくなりました。

最近の記事

船に乗る

 船尾の赤いパドルが勢いよく回転し、水飛沫が上がる。  港では、見送るスタッフの人たちが大きく手を振っている。そう揺れは感じないが、陸からは大きな置き物のように見えていた外輪船がゆっくり離岸していくのがわかった。出航だ。  船は次第に向きを変え、防波堤を越えていくと向こうに大きな建物が見える。船内のアナウンスで、ボートレース場とわかった。旋回して先に見えるのは柳が崎。梅雨の合間、陽射しは強い。湖畔の山々の緑が明るい。  デッキをぐるぐる巡る親子連れや、飲み物を取りに行くカップ

    • イントネーションが気になる

       朝の家事をしながら流し見するテレビニュースに、キッチンに立っていた私はふと手を止めた。季節の果物に触れた話題の中でのことだった。  アナウンサーが発した、「びわ」のイントネーションに耳がざわりとしたのだ。  咄嗟に、今の「びわ」のイントネーションおかしくない?と、同じ放送を見ていた夫に尋ねたけれど、彼は首を傾げるだけ。  あれ。私がおかしいのかな。  急に自信がなくなり、何度か、びわ、と繰り返し呟いてみる。やはり先ほどのアナウンサーのイントネーションには違和感を感じる。  

      • もしも明日いのちが尽きても

         娘が家を出て、3か月が過ぎた。 「今日の夜 時間ある?」  ほんのひと言入ったLINEを始まりに、娘に電話した。メッセージアプリでは「おはよう」と朝の挨拶をしたり、体調を尋ねたり、1日のうちどこかでやりとりはしていたけれど、声を聞くのは久しぶりだった。  途中スピーカーに切り替えて、夫も交えて3人で話す。といって、私が促すまで、夫は娘の声を聞く一方だ。  こういう家族団らんのおしゃべりも、なんだか懐かしかった。娘がいなくなってから、ほんの3か月しかたっていないのに。それでい

        • 傘の思い出(その2)

           初めて買ってもらった傘に、懐かしい、優しい記憶を遺したままだった私は、同じくうさこちゃんの絵柄がある傘を、娘のために用意した。私の初めての傘よりさらに短い、幼児用の小さな傘をさした娘と、幼稚園へ一緒に登園した。  小学校へは電車通学をしたため、駅のホームや電車に乗った場面での傘の扱い方を教えた。周囲の方に迷惑をかけないよう教えたけれど、ほんの6、7歳の子が周りに気を配り、考えてよく振る舞っていたと思う。登校することだけでもう、がんばっていたんだなぁ。  2年生になる頃、

        船に乗る

          傘の思い出(その1)

           私が子どもだった頃、駅前の商店街は、まだそれなりに賑やかな場所だった。  車で乗りつけるような大型のショッピングセンターはなく、あっても小さなスーパーマーケットくらい。商店街は「シャッター街」と呼ばれるような閑散とした雰囲気はせず、人や自転車が行き交う場所だった。雑然としながらも、アーケードの下は活気があったことをおぼろげに覚えている。  そのアーケードの入り口のあたりに、傘の専門店があった。そこで初めての傘を買ってもらったのだ。  それまで保育園の生活で、親の都合で車や

          傘の思い出(その1)

          丘の家の思い出

           結婚する前に、ほんの少しの間だけアルバイトしたカフェがある。  はじめ、年上の友達にランチに連れていってもらった場所だった。  郊外の、丘の上にある住宅街の中、周囲の住宅より広い敷地にゆったりと建てられた一軒家。他と遮る柵のようなものはなく、自然に緑の濃い庭が続いていた。ペンキで名前を記した看板が表にあり、ようやくお店だとわかるようになっていた。  古い枕木と煉瓦を使った素朴なアプローチから入り口のドアを開けると、ドアベルがのどかに響き、ジャズがゆったりと流れる室内につなが

          丘の家の思い出

          見届けたい!

           ここ最近、街を歩くと彼女の肖像に会う。  はじめはずっと年下の世代の彼女に、我関せずの感覚で目に入らなかったが、多数の受賞を経てさらに店頭でポスターの掲示が増えたようで、どこでも彼女の姿が目に入る。  彼女の名前は、「成瀬あかり」だ。  宮島未奈さんのデビュー作「成瀬は天下を取りにいく」が第21回本屋大賞を受賞して、注目度がぐっと上がったのは確かだが、その前から評判が高い小説なのは知っていて、店頭で目に留まってはいた。  ただ、新刊の、それも小説に手を伸ばすことには慎重な

          見届けたい!

          繰り返しの先に

           生活をする以上、家事を避けて通ることはできない。  得意と不得意というのとは違って、どうしても好きになれない家事というのはある。  結婚して家庭を持った時に、嫌いな家事の筆頭だったのが、アイロンかけだった。洗濯し終えて乾いたシャツに軽く霧吹きをし、アイロンをかける。シワが綺麗にならず、やり直そうと試みて違うシワを作る。そういうことを繰り返すうちに、途方に暮れた。  ノーアイロンでも着ることができる、という謳い文句のシャツを試してみたりもしたが、仕上がりに納得いかないのは変

          繰り返しの先に

          「モネ」に導かれる

           中之島で「モネ」やってるから行こうよ。  気の置けない友人の誘いで行ったのは、大阪中之島美術館の、モネ展だ。  クロード・モネが、印象派と名乗る以前の作品から順に並べられた展覧会で、写実的な作風から次第に光を意識した、モネらしい、と感じる作品に移行していくのが、あまり知識のない私にもわかった。  面白かったのは、朝靄の中のウォータールー橋やビッグベンといったロンドンの風景を、帰国後アトリエにカンバスを並べて同時期に描いたという作品を、同じところに集めて展示されていたことだ

          「モネ」に導かれる

          「船乗り猫」の旅立ち

           ついに娘が旅立った。  進学のために、家を離れ、大学内にある学生寮に住むことになったのだ。  合格発表の後、指定された入寮の日まで期間は短く、慌ただしく荷物をととのえて出発した。  インターネットで注文した日用品ひと箱と、寝具一式。家から送り出した段ボール箱3箱とスーツケース2個の荷物。同じ寮の新入生では少ない方だったらしい。夜までには片付けもひと通り終えたそうだ。  娘の好みで、コンパクトな暮らしを心がけているとはいえ、季節の変わり目の寒暖差に対応するための衣類がずいぶん

          「船乗り猫」の旅立ち

          深夜の汽笛

           夢うつつに、汽笛を聞いた。  年の瀬を前に、家族で帰省した日の夜、母がととのえてくれた寝床で眠りについた夜のことだった。  この時間に走るのは、きっと貨物列車だろう。コンテナを連ねた長い車両が鉄橋を渡る光景がまぶたの裏に浮かんだ。  父はもうどの線路の上にもいない。どの現場の責任者を務めることもない。線路上で事故に遭うことはもはやなく、その最後からもずいぶん経つというのに、父に何もないことを祈った子どもの頃のように、胸がざわついた。  少し前に、父の七回忌のために私一人だけ

          深夜の汽笛

          エールを送る

           2月の朝、澄んだ空気は冷え、吐く息は白い。  高校受験、第1志望校の入試当日。遅刻しそうな私は、試験会場の最寄り駅の改札から、父と別れ、泣き出したい気持ちで駆け出した。  家を離れ、県外の志望校を受験する私に、父が付き添ったのは、母がついたばかりの職場で休みを取りにくかったからだ。母になら言えることも、父には言い出し辛い。心許なくなかったが、仕方ない、と割り切るしかなかった。  旅行代理店が「受験生パックの宿」とうたったホテルには、私と同じような受験生とその家族がいた。当

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          おひなさま

           子どもの頃、友達の家のおひなさまに憧れた。  友達のおうちには、立派な七段飾りが飾られていた。緋毛氈にずらり並んだ三人官女に五人囃子、右大臣・左大臣、仕丁、お道具の数々、そして見上げる高さにあるお内裏さま。表情の豊かさ、衣装の細かさ、どれも素敵に見えた。なにより七段飾りそのものの、部屋を圧倒するような堂々とした存在感に憧れた。  私のとは違う。子どもの目には、友達のおひなさまの華やかさや圧倒的な存在感に及ばず、見比べてがっかりした気持ちになった。  私の雛飾りは、母方の祖

          おひなさま

          すっきり暮らしたい

           結婚で実家を離れ、自分の家庭を持つことになった。  夫という人は、あまり整理整頓が得意ではなかったようで、結婚前の住まいは仕事に必要な服と、たくさんの本、そしてすべてがうっすら埃にまみれていた。掃除はあまりしないがゴミを出す習慣だけはあって、いわゆるゴミ屋敷の状態ではなかった。その点だけはホッとした。  とはいえ初めのうちは、日々の暮らしについてすり合わせが必要だった。食事の支度や衣服を整えることもそうだったが、一番手間を取られ、ストレスに感じたのは、部屋の整理整頓だった。

          すっきり暮らしたい

          冬の朝

           まもなく小学生になる娘と、それまでの自転車をやめて、徒歩で幼稚園へ登園していた時期があった。  しっかり歩かせてあげておくといいよ。小学校へは自分の足で歩かないといけないからね。先輩のお母さんたちに、そう助言されたことがきっかけだった。  その頃、わが家のある集合住宅の周囲一面が田んぼで、夏になると蛙が合唱しているような場所だった。畦道を抜けて幼稚園に向かおうとすると、稲の成長がよくわかる。  春はヒバリの賑やかな声を聞きながらタンポポの綿毛を吹き、初夏は燕がつい、と低く飛

          曲がり角の先

           曲がり角の向こうに、どんな道がのびているかわからない。  10代の頃に読んだ「赤毛のアン」、人生の指針ともなったその本に、そんなくだりがあったことを思い出す。目の前は真っ直ぐ見通せたように思えたあの頃から、私は曲がり角をいくつたどってきたのだろう。  そしてまた、曲がり角が現れたということなのか。  夏休み、高2の娘はのびのび過ごしているように見えた。親のそばで、子どもらしく過ごせる最後の夏休みになる可能性があることも考えて、たくさん話したり、一緒に家事をしたり、旅に出た

          曲がり角の先