傘の思い出(その2)

 初めて買ってもらった傘に、懐かしい、優しい記憶を遺したままだった私は、同じくうさこちゃんの絵柄がある傘を、娘のために用意した。私の初めての傘よりさらに短い、幼児用の小さな傘をさした娘と、幼稚園へ一緒に登園した。

 小学校へは電車通学をしたため、駅のホームや電車に乗った場面での傘の扱い方を教えた。周囲の方に迷惑をかけないよう教えたけれど、ほんの6、7歳の子が周りに気を配り、考えてよく振る舞っていたと思う。登校することだけでもう、がんばっていたんだなぁ。

 2年生になる頃、咄嗟の雨天に対応できるように、折り畳み傘をランドセルにしのばせておくようにした。軽いこと、また強風にあおられても壊れにくいこと、本人がちゃんと扱えるかを店頭で確認して選んだ。
 高価な品ではなかったが、よくよく吟味して選んだぶん、娘には愛着があったのだと思う。その傘を電車に忘れてしまったことに、乗り換えた電車の中で気付いた娘は、ショックだったらしい。
 すると、同じ電車に乗り合わせていた1学年上級生の男の子が、半べそをかいていた娘の様子に気付いたらしい。
「困ったことがあったの?」
と話しかけ、傘の忘れ物のことを聞き出してくれた。そして娘に代わり、駅員さんに事情を説明してくれたそうだ。
 それを聞き取り、駅の外で娘の帰りを待っていた私に、駅員さんから指示されたことを丁寧に説明してくれた。
 その上級生の振る舞いに、驚き、私は感動した。娘にお礼を言うよう促すと、彼はさりげなく、
「たまたまそこにいただけです」
と答えた。大人のような振る舞いと裏腹に、夏用の白い通学帽の下の、はにかんだ笑顔が少し幼く見えたことが忘れられない。

 子ども用の傘から大人が使う傘に持ち替える場面で、娘はまた自分で傘を選んだ。
 色目や重さ、たくさん見比べてもなかなか納得しなかったのに、その傘を見つけた時には自分から「これ欲しい」と言った。
 白い木目の柄に、爽やかなパステルカラーの幾何学模様の傘地が貼られた傘は、娘には「満点」だったらしい。
「早くさしたいな」
 雨の日を待ち、いざその日には、喜んで雨の中を出かけていった。

 思春期に差し掛かった頃、娘は一時期長期の欠席をした。
 登校できなかった理由をいくつも挙げることはできただろうが、決定的な原因はわからない。自信をなくして縮こまっていたものの、自分で、学年の区切りをきっかけにすることを決意して、おそるおそる登校を再開した。

 うちの中の静けさと比べれば、久しぶりの学校は喧騒そのもので、みんなと同じにやっていけるのか緊張していた娘の神経は、登校のたびに疲れ切っていた。
 ただ、休んだ後も続けることができた吹奏楽のクラブ活動で、小さく目標を掲げ、それを更新していくことで、小さな自信を積み重ねることができた。そのスモールステップの繰り返しが、娘の登校の原動力に、どれほどなっただろう。長期欠席の間も娘に決定的な決断を促さず、じっくり待ってくださっていた先生方には感謝尽きない。

 ある日のこと。
 雨が降り出しそうなどんよりした湿度の高い朝、電車に乗ることが叶わなくなっていた娘を小学校の近くまで車に乗せていった。
 なかなか車を降りる勇気が出ない様子が見てとれたが、その日の私は午前中に約束が控えていたこともあり、気持ちに余裕がなかったのだと思う。
 思い切って車を降りた娘が、それでも逡巡して車のドアを閉めきれずにいたところ、彼女が持っていた傘を挟んでいたことに気付かなかった。発進する車に娘が慌ててドアを締め直し、小雨の中、傘を開いてどんな顔をしていたのか、私はまったく見ていなかった。
 車を切り返して元の道に戻ってきた時、バックミラーに泣きじゃくる娘が、必死の表情で追い縋ってくるのが見えた。
 何が起きていたのか、わからなかった。そのまま走り去るわけにいかず、もう一度反対方向に車を切り返して娘のいた場所に戻った。
 雨に濡れながら、娘が言った悲痛な声が今も忘れられない。
「傘が折れた」
 たった一言だった。
 たったそれだけ? それだけのことが、娘には取り返しのつかない悲劇だった。
 そのことにすぐ気付けなかった私は、学校の前まで来たのだから、学校に行こう、と繰り返し何度も促した。
 それでも後部座席に乗り込んだ娘は、そのまま大声で泣きじゃくっていた。普通ではない泣き方に驚いて、私は傘が折れたのと同時に彼女の心が折れたことに、ようやく思い至ったのだった。
 車の中で学校に電話連絡すると、せっかくそこまで登校したならと、担任の先生がわざわざ車のところまで来てくださった。
「ここまでよく来たね。お気に入りの傘、残念だったね」
と娘に寄り添った先生の言葉に、私がかけるべき言葉が誤っていたことに気付かされた。
 娘が試すすがめつ選び、「満点」と言った傘はただの傘ではなく、登校する勇気を持てずにいた娘を支えていた。その奥で、娘は自分もまた「満点」でありたい、と重ねていたのかもしれない。
 それが折れた時、少しづつ重ねてきた登校への自信も崩れてしまったことに気付けず、娘に無理を強いようとしていた。先生に見送られた帰り道、娘に謝ったことを覚えている。

 娘のために新しい傘を探そうとすると、折れた傘とまったく同じ傘が、1本だけ店頭にあった。それを見つけた瞬間の笑顔もまた忘れられない。
 もう一度、自分で選んだ傘をお供に、登校の挑戦ができるように。
 そうする。いやきっとそうできる。
 お気に入りの傘に再び出会えたあの娘の表情を見て、そう信じられた。
 これもまた忘れられない傘の記憶だ。



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