見届けたい!

 ここ最近、街を歩くと彼女の肖像に会う。
 はじめはずっと年下の世代の彼女に、我関せずの感覚で目に入らなかったが、多数の受賞を経てさらに店頭でポスターの掲示が増えたようで、どこでも彼女の姿が目に入る。
 彼女の名前は、「成瀬あかり」だ。

 宮島未奈さんのデビュー作「成瀬は天下を取りにいく」が第21回本屋大賞を受賞して、注目度がぐっと上がったのは確かだが、その前から評判が高い小説なのは知っていて、店頭で目に留まってはいた。
 ただ、新刊の、それも小説に手を伸ばすことには慎重な私、話題の本をリアルタイムで読むことはあまりない。他の作品を読んで作風を知っている作家の本ならそういうこともあるけれど、「成瀬」の著者の宮島さんは本作で作家デビューされた方なので、他の作品はまだ読んだことがない。
 まして主人公が中学2年生からスタートする物語、読者の年代に私は当たらないと考えて、手にすることがなかったのだ。

 「成瀬」を手に取ることになったきっかけは、気恥ずかしいほどありふれているのだが、本を紹介するテレビ番組を観たことだった。
 編集者が熱を込めて語るのは当然だけど、MCの俳優さんもまた、私と同じ理由で手に取るまで時間がかかったのにも関わらず、読み始めると引き込まれたそうで、その面白さを熱く語っていた。
 作中に登場する場所で、読者が“聖地巡礼”している様子も紹介されていた。
 なにこれ。成瀬が実在する人物みたい。
 俄かに興味が湧いていた。

 次に書店に行った時、すでに本屋大賞受賞のポップが踊る中、目立つ場所に平積みされた1冊を初めて手に取ってみた。
 そして主人公・成瀬の台詞で始まる、その1行目を目にした瞬間、あ、これやばい、と思った。
「島崎、わたしはこの夏を西武に捧げようと思う」※
 なに、このヘンテコな宣言!
 中学2年生の成瀬あかりは、閉店することになった近所の身近な百貨店に1か月(正確にはテレビ番組の放映がある日に)毎日通い、そこで行われるローカル番組の生中継に映る、という試みを果たすのだ。
 幼なじみの島崎が「いつだって変」という成瀬の将来の夢は、「二百歳まで生きる」こと。
 別の一編では島崎と組んでM-1に出たり、高校の入学式に坊主頭で臨んだりする(実験のために!)。

 わけても、思春期の女子特有のイジメに怯むことなく、けん玉と巨大シャボン玉で、逆にクラスメイトの心を掴んで空気を一変するというくだりに、成瀬の非凡さがわかる。その堂々たるヒロインぶりたるや、爽快だ。
 また、舞台となる大津、特に膳所駅の周辺のディティールは、おそらく地元の読者にはありありとわかる描写なのだろうとうかがわせる。だから、コロナが蔓延し、それまでの日常とは変化した私たちの世界線で、成瀬はたしかに生きているような気がしてくる。
 彼女の成長とともに、舞台もまた広がっていく。連作の一編ごとに語り手が変わるが、違和感なく展開し、それぞれ成瀬あかりが生き生きと語られる。どれもエピソードに破綻なく、笑わせながらほろりとさせるストーリーだ。

 私は、成瀬のヘンテコな宣言と行動に吹き出しながら読み進めるうちに、彼女なりの正義感や、義理堅い誠実さがいじらしく感じられるようになっていた。そして、だんだん清々しい気持ちになって、島崎じゃないけど、私も、成瀬あかり史を見届けたい、という気持ちになっていた。
 久しぶりに読み終えるのが惜しいと感じる本に出会ってしまった。
 そして、はじめの1行目を目にした瞬間に予感した通り、2作目の「成瀬は信じた道をいく」もすぐに購入、間を置かず読み終えてしまった。

 個人的には。
 娘が遠い場所で学生生活を始めて、その姿が成瀬に重なるような気がしたのだった。
 とはいえ、娘は成瀬ではないし、成瀬のようになってほしいなんてちっとも思わない。
 それでもなぜか重なるように感じたのは、新しい試みに自分らしい望みを持って、前のめりにぐんぐん進んで行こうとする勢いやパワーが、眩しくてしかたなく感じられるからだ。
 それは私がかつて通り過ぎた年代であり、巻き戻して取り返すことはない。きらきらと輝く年代の子たちを見守るだけ。遠くから、祈りを込めて応援するだけだ。
 きっと、私には想像もつかない道へいく成瀬と、娘のこの先を、私もずっとずっと見届けていたい。

※宮島未奈著「成瀬は天下を取りにいく」収録「ありがとう西武大津店」


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