もしも明日いのちが尽きても
娘が家を出て、3か月が過ぎた。
「今日の夜 時間ある?」
ほんのひと言入ったLINEを始まりに、娘に電話した。メッセージアプリでは「おはよう」と朝の挨拶をしたり、体調を尋ねたり、1日のうちどこかでやりとりはしていたけれど、声を聞くのは久しぶりだった。
途中スピーカーに切り替えて、夫も交えて3人で話す。といって、私が促すまで、夫は娘の声を聞く一方だ。
こういう家族団らんのおしゃべりも、なんだか懐かしかった。娘がいなくなってから、ほんの3か月しかたっていないのに。それでいて、電話越しに語らうのもアリなのだな、と感じたりした。
メッセージアプリでは聞きづらい、学業の様子を聞くと、概ね順調ではあるものの、本人が苦手としていたり、迷っていたりしていることについて、意見を求められたりした。
私たちの学生時代と、同じ分野のようで、まったく違うように感じる学びに、マイペースながら意欲的に取り組んでいる娘の相談に乗りながら、感慨深いものがあった。
勉強はしたい、でもやりたくないやり方でどうしてやらなきゃならないの?
小学4年生、10歳の娘に、真剣な声で言われた日を思い出す。2学期の秋、登校が難しくなってきた頃だった。
「どうしてうちで学校と同じように勉強できないの」
今の日本の学校制度では、ホームティーチングが認められないことに憤っていた。
それまでなんの疑問も感じず、学校の授業や宿題に取り組んでいるようだったし、吹奏楽に打ち込み始めていたこともあって、娘に突然そんなふうに言われて、私は戸惑った。
自分が育ってきた過程では、学校に行かなきゃ勉強はできない、そう思い込んできた。娘の疑問は、私の想像を超えていたし、言葉上わかったふりをしても、心底理解して娘に返事できていなかったと思う。
なんと答えれば正解だったのか、わからない。どれも正解ではない気がする。何度も譲歩して、行ける時に行こう、と言うのが精一杯だった。
それに反発するように癇癪を起こしたり、無言でいたこともあったあの時の娘、
「小学校の時は時々、喉がぎゅって締まって、息できるのにできない、ってなってた」
そんな苦しい思いまでしていたのか。つい先頃教えられて、胸が詰まった。
中学に進んだ後も、折々に立ちのぼるその葛藤と、ずっと向き合ってきた。
学校という集団生活の場で、自分らしさと折り合いをつけ、立ち向かっていったらいいのか。混乱していたようだったが、次第に言語化できるようになり、登校も勉強も、自分自身で方向性を決められるようになった。学校の先生方も、娘の言葉をよく聞き届けてくださり、励ましてくださった。
高校でも、本来の、やりたい勉強はまだできない、と言っていた。進学を決める場面でも、うちにこもって納得するまで本を読んだり、インターネットで情報収集した上で、自分で決断した。
その頃には私の思い込みも修正されて、娘の気持ちを尊重しながら、学校との折り合いをつける役目に徹した。そして娘には、あなたのやりたいことは大学に向いてる、大学で好きな勉強ができるよ、とささやきながら励ましてきた。
「明日死んでもいいくらい満足してる」
といって、ほんとに明日死ぬわけじゃないけどね。
娘はくすくす笑いでそう言った。
望み通りに学び、追究できる今の環境に、満足しているという言葉に、深い感慨があった。
もちろんこの先も、迷ったり、方向転換しなくてはならない場面もあるだろう。
でも、今の娘ならきっと、またその時に、自分で考えて決めることができる。そう信じられるようになった。
笑い声の向こうに、娘の弾んだ笑顔が見えるような気がした。
果たして、私はどうか。
もしも明日いのちが尽きる日が来ても、今の自分に満足と言えるかな。
娘の言葉に羨望の気持ちが湧いたのは、まだそうと言い切れない自分だからだ。
私もまだ間に合うかな。
まだまだ、これから。
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