イントネーションが気になる
朝の家事をしながら流し見するテレビニュースに、キッチンに立っていた私はふと手を止めた。季節の果物に触れた話題の中でのことだった。
アナウンサーが発した、「びわ」のイントネーションに耳がざわりとしたのだ。
咄嗟に、今の「びわ」のイントネーションおかしくない?と、同じ放送を見ていた夫に尋ねたけれど、彼は首を傾げるだけ。
あれ。私がおかしいのかな。
急に自信がなくなり、何度か、びわ、と繰り返し呟いてみる。やはり先ほどのアナウンサーのイントネーションには違和感を感じる。
結局、家事の手を止め、スマホで調べてみたのだった。
私が、人の話すイントネーションについ反応してしまうのは、中学生の頃、部活動で放送部に所属したからだろう。
朝の登校時間と昼の休み時間の2回、放送部が校内放送を担う役目があった。曜日ごとに、アナウンスとミキシングの役目を交代しながら、週1回づつ担当していたと思う。
先輩から、短い放送でも原稿を書き、アナウンスの練習をするよう教えられたものの、そのうちに原稿を書くのをサボったりした。使い回しの原稿を、頭のなかで日付を入れながらマイクの前で読んだりした。
それでもアナウンスのために行う発声練習は、入部してすぐに仕込まれ、真面目に練習した。狭いグラウンドに他の運動部が入り混じって練習するのを横目に、その片隅で一列に並び、腹式呼吸を確認しながら、
「ア、エ、イ、ウ、エ、オ、ア、オ」
と声を張った。50音を繰り返し、発声と滑舌の練習をした。
「あめんぼ赤いな あいうえお」
「浮き藻に小エビも 泳いでる」
「柿の木栗の木 かきくけこ」
「キツツキコツコツ 枯れけやき」
いまだに口を突いて出てくるほど記憶に残る「あめんぼの歌」。あの頃、北原白秋の詩とは知らなかったし、その意味もわからず読んでいた。
「大角豆(ささげ)に酢をかけさしすせそ」「ささげ」が「大角豆」であり、豆を指すとは知らなかったし、それに酢をかけるとは思いもしなかった。
「その魚(うお)浅瀬で刺しました」
に至っては、今読んでも謎の暗号のようだ。
それでも、ら行の、
「雷鳥寒かろらりるれろ 蓮花が咲いたら瑠璃の鳥」
のくだりは、思い浮かぶ映像と、発する言葉の温かい響きが好きで、自然と気持ちを込めて発声していた。
夏休みには、アナウンスのコンテストがあった。今も続く「NHK杯全国中学校放送コンテスト」だ。
ゆるい部活ではあったけれど、ハイライトとなる夏の大会、その予選に応募させてもらい、部員みんなで参加した。入賞せずとも、会場のNHKの地方局に行くことそのものが、非日常で、イベントだった。
私の故郷の言葉は、関東の一般的な抑揚に近い。が、語句によって、極端に頭高な抑揚をつけることがある。「校長先生」という言葉がそうだ。
私は、放送部の同級生に指摘されて初めてそれを知った。それまで当たり前に発していたイントネーションが、全国的には一般的ではないことに、とても驚いた。
中学生の私は疑って、部室に置いてある「NHK日本語発音アクセント辞典」を開いた。すると「校長」「校長先生」、いずれも平板なイントネーションが標準的であり、私の故郷で使われる語高の抑揚こそが特殊、という記述を確認して衝撃を受けた。
生まれ育って当たり前に思ってきたことが、他所では違う。身の回りの暮らしがすべてだった子ども時代の認識を破り、世界は広く多様だと知った、初めてのできごとだった。
それからしばらくは、「校長先生」と口に上らせるのをためらうような気持ちになったものだ。
それをきっかけに、原稿を読むうち抑揚が心配になると、アクセント辞典を開いた。
あの言葉は? この言葉は?
アクセント辞典にはいろんな発見があった。
言葉についてあらためて認識させ、その面白さを教えてくれた。そのことがその後、言語について学ぶことにつながったのかもしれない。
進学で住まいを変えたが、その都度、周囲で耳にする言葉に敏感にならざるを得なかった。はじめ生理的に合わないと感じても、そのうち耳に馴染むということを繰り返し、関西の言葉を話すようになって長くなった。
自分ではあまり客観視できないが、私の言葉はごちゃ混ぜで、話す相手によってそのニュアンスが変わるらしい。娘に指摘されたのには、実家の母と長電話した日は、私の言葉が故郷寄りになっている、とのこと。しかも、普段話す方言よりも訛りの強い、私の祖母世代の方言になっていたりするらしい。どうしてかな。
最後に。
私の耳をざわつかせた「びわ」のイントネーションは、頭高の「びわ」、
び ↗︎ わ ↘︎
が、標準的でした。
そして関西での抑揚は、平板の「びわ」。
そうか、私の「びわ」は、方言だったのか!!!
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