おひなさま


 子どもの頃、友達の家のおひなさまに憧れた。
 友達のおうちには、立派な七段飾りが飾られていた。緋毛氈にずらり並んだ三人官女に五人囃子、右大臣・左大臣、仕丁、お道具の数々、そして見上げる高さにあるお内裏さま。表情の豊かさ、衣装の細かさ、どれも素敵に見えた。なにより七段飾りそのものの、部屋を圧倒するような堂々とした存在感に憧れた。
 私のとは違う。子どもの目には、友達のおひなさまの華やかさや圧倒的な存在感に及ばず、見比べてがっかりした気持ちになった。

 私の雛飾りは、母方の祖母が贈ってくれた木目込人形だ。人形はどれも手の平サイズで、ガラスケースに収まっていた。転勤族のわが家の事情から、祖母に頼まれた母が選んだ、とのちに聞いた。
 大きさ以上に私をがっかりさせていたのは、おひなさまの姿と顔立ちだった。友達のおひなさまの女雛は重ねの美しい十二単、髪はおすべらかし。髪を結い上げた衣冠束帯の男雛も凛々しい。それに対して、私のは、髪は釵子(髪飾り)と冠の下、結い上げない垂髪。切れ長の引き目、ふっくらした顔立ちが幼い。
 私のおひなさまは、「子ども」のおひなさまみたい。そう思っていた。友達の七段飾りのおひなさまが「大人」なら、私のおひなさまは「子ども」。贈ってくれた祖母の心、親の心を察しないわけではないから口には出せないけれど、なにか物足りない思いを抱いていた。
 それでも、年に一度、押入れの天袋から大きな段ボール箱を取り出し、薄紙の中から現れるおひなさまのお顔を見る瞬間は、懐かしく、それでいて新鮮なものだった。

 結婚して親元を離れ、私も娘の親になった。
 娘が初めての正月を迎える前、私の両親から「藤娘」をあしらった美しい羽子板が届いた。次は雛人形の支度を、と母は張り切っていた。   
 続けて節句の祝いを用意させて、無理をしてはいないか案じたものの、電話口で、
「それもしてやりたかったことなんじゃから、心配いらんよ」
 祖母が私に贈ってくれたように、自分も孫に贈りたい、とうきうきした声で言われて、母の言葉にありがたく従うことにした。せっかく贈ってくれるなら感謝を込めて、毎年飾って娘の成長を祝うことを習慣にしたいと考えた。
 七段飾りの立派なおひなさまへの憧れが頭をよぎらなくもなかったが、初めての子育てに必死だった“新米母さん”の私、大掛かりな飾り付けを毎年やり遂げる自信はなくなっていた。その頃、猫と一緒に暮らしていたことも躊躇する理由になった。
 そこで、愛着のある和箪笥の上に飾れるサイズのもの、とリクエストすると、母は、こうした場面でいつも賢明な相談役になってくれる伯母と一緒に、専門店に出かけて選んでくれた。

 暦が春となった頃、厳重に荷を拵えて送られてきた雛人形は、漆黒の漆が艶やかな台の上、華やかな刺繍が施された屏風の前に並ぶ、木目込人形のお内裏さまだった。男雛は衣冠束帯、女雛はおすべらかしではなく垂髪で、釵子の下の目は切れ長の引き目。それでいて、おっとりと品のよい、大人びたお顔をしていた。
 木目込のお人形は「子どものおひなさま」と思い込んでいた私は驚いたのと同時に、愛らしいながら大人びたお顔立ちのおひなさまに、ひと目ですっかり惚れ込んでしまった。面差しも十二単の色合いも、いつか娘がこんな女性になってくれたら、という願いをそのままかたどってくれているように感じた。
 このおひなさまを毎年飾って、娘の成長を祝おう、とそう心に決めた。

 それから18年の間、年に一度、節分を終えてすぐではなく、陽射しに春の気配を感じる頃に飾った。あんまり早いとおひなさまに風邪を引かせそうだし、桜の花見もしていただきたい。ゆっくり飾って春休みの終わりに片付ける、というのがわが家の習慣になった。
 おひなさまに無邪気に喜んだ幼い娘も、次第に成長し、記念撮影もさせてくれなくなった。それでも和箪笥の上に飾られた雛飾りを見つけた途端に、表情が緩んで、
「あっ、飾ってくれたん」
と小さく嬉しそうな声を立てた。その笑顔見たさに、年に一度の飾り付けを続けてこれた気がする。

 娘が受験生となった今年は早々と飾ることが躊躇われ、無事合格後は入学手続きに気忙しい日が続き、桃の節句が近づいても飾りそびれていた。ところが、3月3日当日の夜。
「やっぱり出そうかな」
 娘はそう言って、自分のおひなさまを飾り始めた。手伝おうかと言ったものの、「大丈夫」と言って一人で飾った。飾り付けを始めてほんの10分ほど。いつもの年の通りに、美しく飾られたおひなさま。女雛を箱から取り出す娘の手付きはおごそかで優しく、ああ成長した、と感じさせられた。
 飾り終えた娘は、振り向いて私に言った。
「片付けは、ママ、頼むね」
 そうだ。桜が咲く頃にこの子はもうこの家にいない。遠方の大学への進学のため、わが家を巣立っていくのだ。
 試練もあったが、彼女らしさを失わず、伸びやかに成長してきた。その軌跡を、毎年おひなさまを飾る、という定点観測を重ねてきたことで思い返すことができた。
 桜が散る頃、私はおひなさまを片付けながら、どんな気持ちになるだろうか。晴れの日、待ち遠しいようで胸が詰まる春が、まもなくやってくる。
 そして、おひなさまは変わらず、おっとりとした表情を浮かべている。

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