傘の思い出(その1)


 私が子どもだった頃、駅前の商店街は、まだそれなりに賑やかな場所だった。
 車で乗りつけるような大型のショッピングセンターはなく、あっても小さなスーパーマーケットくらい。商店街は「シャッター街」と呼ばれるような閑散とした雰囲気はせず、人や自転車が行き交う場所だった。雑然としながらも、アーケードの下は活気があったことをおぼろげに覚えている。
 そのアーケードの入り口のあたりに、傘の専門店があった。そこで初めての傘を買ってもらったのだ。

 それまで保育園の生活で、親の都合で車や自転車に乗せられて登園していたから、自分で傘を使うことがなかった。
 小学生となり、自分の足で通学するようになって初めて、母は私の傘を用意していないことに気付いたらしい。入学後初めての雨の日にさしたのは、母の傘だった。
 今はサイズが5センチ刻みで取り揃えられるほどたくさんの傘が流通しているけれど、その頃子どもが使いやすい小さめの傘は、品数が限られていたと思う。
 店頭の円形ハンガーにかけられた中から私が手に取ったのは、「うさこちゃん」の絵柄が入った赤い傘だった。赤地に、白いうさこちゃんのお顔が2箇所、ごくシンプルな図柄だった。私はうさこちゃんに思い入れがあったわけではないけれど、とてもうれしかった。

 私が初めての子のせいか、母自身が恵まれた子ども時代を過ごしたわけではなかったせいなのか。そうした物の用意に気付くのが遅かったのは致し方のないことで、母に、私への愛情がなかったわけではないとはわかっている。
 それでも、借り物の大人の傘より、自分のために自分で選び、買ってもらった傘は格別だった。

 友達とおしゃべりながら歩くこともあったが、1人で歩く雨の通学路も、それはそれで楽しかった。どんよりと暗い日でも、赤い傘の下は自分だけしか存在しない世界のように感じられて、存分に空想に耽った。近所の町工場、外壁の途中で切れた雨樋の下に傘をかざして、勢いよく落ちてくる雨に打たれて遊んだりした。

 1本きりのその傘を使い続けるうちに、鮮やかだった赤地もくすみ、ふざけて遊んで、コンクリートの床に叩きつけられたプラスチック製の柄が折れてしまった。
 そのうちに、私が使うには傘そのものが小さくなってしまった。そうなる頃には、愛くるしいうさこちゃんを少し気恥ずかしく感じるようになってしまってもいた。だから未練なく卒業して、母のお下がりの傘を、今度こそ遠慮なく使うようになった。
 それでも、時折あの傘を懐かしく思い出したのは、傘を買ってもらった時の喜びを忘れられなかったからなのだろう。

 娘は小学生の頃、自信をなくし、気力を失った時期があった。その少し前から私に確認のような質問をたびたびしてきたが、それが日に何度も続いた。
「どうしたらいい?」
 今日履く靴下、荷支度、家を出る時間。繰り返される質問攻めにうんざりした私がいい加減な返事をすると、
「ママが決めて」
と言って泣く。どうしてそんなに決められなくなっちゃったの。
 相談したカウンセラーに、娘の中にある「失敗を恐れる」心に気付かされた。よかれと思って、つい先回りしがちだった。娘が自分で決める前に、私が主導して選んだり誘導していたのかもしれない。
 自分が子どもだった時に、自分で選び取る喜びを教えてもらったはずなのに。

 私は、あの赤い傘と共に思い出す喜びを、娘から奪いかねないことをしていたのだ。
 娘に対して、取り返しのつかないことをしていた。気付いた瞬間、懺悔する気持ちになって、心の底から娘に詫びた。
 その後、娘本人が自分で選ぶことを繰り返し促し続けた。簡単にはいかず、試行錯誤したけれど、娘は、自分自身で進路を選び、挑んで、勝ち取っていった。

 かつて子どもの自分が味わった気持ちを、子の親となって思い出せるか。
 立場を変え、失敗して、子に教わりもして、成熟していくことを痛切に味わわせてくれた記憶の中に、あの赤い傘は浮かんでいる。

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