自分自身との関係をよくしていこう~嫌われる勇気をもつ中で
世界三大宗教と言えば、「仏教」「キリスト教」「イスラム教」です。
世界各地に信者が大勢いますし、信者ではなくても、それぞれの宗教の考え方や習慣、文化などが「生活」の中に入り込んでいます。
日本では、「仏教」の考え方が生活のあちこちに溶け込んでいます。
例えば、「いただきます」「ありがとう」等の言葉なども仏教に由来します。
さて、それぞれの宗教の開祖である仏陀、イエス、ムハンマド。
信者からすれば尊い人ですし、信者ではない私から見ても、何となく「人格者」「素晴らしい人」というイメージがあります。
さぞ、周りの人からも評判が良かったのだろうなあと思われます。
・・・・・。
私自身はずっと、人の評価を気にして生きてきました。
できるだけ、嫌われたくない、嫌われないようにと相手に合わせる生き方をしてきました。
休日になって、ちょっと家でゆっくりしたいなあと思っていても、友達から誘われて、断り切れずに食事や買い物に出かける。
仕事に切りをつけて、はやく帰宅できそうなときに、上司から頼まれた仕事をそのまま受けてしまう。
本音は違っているのに、嫌われないように、周りと衝突しないようにと、言いたいことをおさえて、当たり障りなく付き合っている。
うまく人間関係を作るということで、多少なりとも、周りの人に合わせることは必要でしょうが、あまりにも合わせ過ぎると、自分が何をしたいのか、自分は、本当は何を思っているのか分からなくなります。見失ってしまいます。
実際、つい最近まで私は「自分が何をしたいのか」を考えても、思い浮かばない日が多くありました。
何をしたんだろう
どうしたいんだろう
何が好きなんだろう、何を楽しいと思うんだろう・・・。
そして、はたと気付きました。
「人の期待に応える」ために生きているわけではないんだよな・・・
と。
自分の人生は自分のものです。
他人が代わりに生きられるわけではありません。
みんな、自分のために生きています(自分勝手、自己中心的とは違う意味です)。
せっかくの人生なのに、あまりに周りの人に気をつかいすぎ、合わせすぎて、自分のやりたいこと、思っていることを我慢し続けていては、人生を損している、もったいないともいえます。
お釈迦さまは、
「皆にてほめる人はなく、皆にてそしる人はなし」
と言われました。
人の評価はコロコロ変わります。
もっと、突っ込んで言えば、「自分にとって都合がいいか悪いか」を基準にして「いい人」「悪い人」と言っているとも言えます。
実際、人格者のようなイエスも最後は、はりつけにされて亡くなりました。
お釈迦さまも、生きていた当時は、3分の1ほどの人は、お釈迦様の存在を知らなかったそうです。
そして、3分の1ほどの人が「変な奴が現れた。変な教えを説いている」と非難しました。
残りの3分の1の人が、すごい人だと称賛したのだそうです。
ここからもすべての人に好かれることも、逆にすべての人から嫌われるわけでもないことが分かります。
そして、全ての人にとっていい人でいることは不可能です。
「自分軸で生きる」ことは、ある意味、「嫌われる勇気をもつ」ことでもあります。
自分らしく生き始めると、それまでの自分と付き合っていた人が「離れていく」ことがあります。自分が本音で生き始めたことで、今までのような付き合いができないからです。
それは、こわいことでもあり、さみしいことでもあり、苦しいと感じることもあります。はじめは。
でも、同じように、その本音で生きる自分に共感してくれて、「付き合いたい」と集まってくれる、新しい関係ができることも出てきます。
そして、それに応じて「自分らしく生きる」ことによる、心地よさ、「自信」も生まれてきます。
「皆にてほめる人はなく、皆にてそしる人はなし」
です。
私も、急には無理でも、少しずつ、
「あ、同じもので」と注文するのをやめて、実際に食べたいメニューを頼む。
自分のための時間を大切にするために、頼まれた仕事を断る(次の機会にしてもらう)
「他人の評価を気にして行動を止めずに、まず、やってみる(はじめてみる)」
なんてところから始めてみたいと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです。
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