出縄良人

公認会計士。1997年スタートアップの株式公募専門のディー・ブレイン証券を設立。141…

出縄良人

公認会計士。1997年スタートアップの株式公募専門のディー・ブレイン証券を設立。141社110億円の資金調達を支援。うち19社が上場するもリーマンショックで挫折。2015年改正法による株式型クラファン制度化を機にCFスタートアップスを設立。思い再びと60歳を過ぎて未だ挑戦中!

最近の記事

いまどきの社長(第11回)

株式会社ディー・ブレインが1996年9月に始めた株式投資型クラウドファンディングの草分けともいえる「インターネットベンチャー投資マート」。1996年9月、その記事が日経新聞のベンチャー欄トップに掲載されると、瞬く間にダイヤモンド、東洋経済、日経ビジネスなどの主要経済誌が遍く記事にし、大きな話題となってしまったのです。11月には大蔵省に呼ばれ、証券会社の新設を勧められるという、前代未聞の事態の渦中に置かれた私ですが、とにかく言われたとおり新設証券会社の事業計画をつくることとしま

    • いまどきの社長(第10回)

      いまの金融庁はコモンゲートと名付けられた近代的な建物に生まれ変わりましたが、当時の大蔵省は、その向かいにある歴史的建造物。いまは国税庁が入っている建物です。やや薄暗い重厚な雰囲気に飲み込まれ、私の緊張も最高潮です。 しかし、ここまできて、逃げも隠れもできません。 やっていることを、ありのまま堂々と説明しよう。そういう気持ちで、きっばりとこう答えました。 「インターネット投資マートでは、当社はサーバーのレンタルとディスクロージャーの指導を併せて行っています。登録企業が自ら株式の

      • いまどきの社長(第9回)

        「インターネットベンチャー投資マート」をオープンして2ヶ月。多くの雑誌は新時代のファイナンス手法を肯定的に紹介してくれていました。その中で気になったのは日経ビジネス。4ページに渡り、私へのインタビューも含めて詳細な紹介をした後、「この仕組みは法的にはグレーである。」と記述されていたのです。証券業の免許を持たずに株式の勧誘をする無免許販売に該当する恐れがあるとの指摘です。 そこへ追い討ちをかけたのは法律家向けの専門誌「ジュリスト」。インターネットファイナンスをテーマに米国の事

        • いまどきの社長(第8回)

          1996年6月、沖縄に向かう飛行機の中でのことです。営業のコンサルをする珍しい公認会計士であったことから、当時は全国で講演をしていました。この日は沖縄の公認会計士協会に呼ばれて、那覇でセミナーです。 乗っていたのは当時のジャンボジェット。両窓側に3席、中央に4席の横10席が並んでいます。進行方向に向かって左からA、B、C…と席番が振られています。私が座っていたのは通路側のC席です。すると、通路を隔てたD席とE席のビジネスマン二人の会話が耳に入ってきました。 「インターネット

        いまどきの社長(第11回)

          いまどきの社長(第7回)

          1996年1月の日曜日。私は町田の駅前にあった大正堂という家具店にいました。日経新聞の取材があるのは翌日の月曜の朝10時です。しかし部屋は3人机を並べていっぱいで、記者の座る隙間もない。そこで急遽、不動産会社を通じて大家さんに連絡。ちょうど空いたばかりの隣の20畳ほどの大きめの部屋に移らせていただくことにしました。ただ記者が来てもソファーもないのでは…ということで、家具店に来たというわけです。30万円ほど。やや高級感ある応接セットを購入。その日のうちに届けてもらいセッティング

          いまどきの社長(第7回)

          いまどきの社長(第6回)

          当時、日経新聞を賑わしていたのはインターネットの普及に関する記事。とはいってもまだナローバンドの時代。楽天もAmazonもない。ホームページを作っただけで記事になるような時代でした。 営業コンサルティングを中心としていたディー・ブレインでしたが、このとき漠然と思ったのは、きっとインターネットを活用して売上を伸ばす時代が来るであろうということでした。 そこで考えたのがインターネット・ビジネス・コンサルティング。インターネットでコンサルティングを行うのではなく、インターネット

          いまどきの社長(第6回)

          いまどきの社長(第5回)

          1995年、コジマやダイキなど株主から頂戴した仕事で一息ついたディー・ブレインですが、まだまだ業績は安定しません。そこで、コスト削減と通勤の利便性のため、東京青山にあったオフィスを、自宅マンション近くの東京都町田市に移しました。当時、毎日深夜まで及ぶ仕事でタクシー代も嵩んでいました。 移転先は町田KKビルという町田駅から徒歩10分の小さなビルの5階。 当時社員は、私と会計士補のK君、事務のSさんの3名。 K君は、当時、会計士が就職難だった時代。青山のオフィスにやってきて、ど

          いまどきの社長(第5回)

          いまどきの社長(第4回)

          会社を設立してから6ヶ月。預金通帳を見ると残高は50万円。2,000万円の資本金でスタートしたはずでしたが… 900万円のFC加盟金に加え、人件費に家賃など先行コストであっという間にお金がなくなっていきます。 そこで、監査法人での上場指導先の一社、家電量販店コジマの小島勝平社長を訪問しました。勝平社長の長男の章利常務には株主として200万円を出資いただいています。 勝平社長は、ほぼ一代でコジマを日本一の家電量販店チェーンに成長させた辣腕社長。人の良さそうな笑顔の奥にも鋭い

          いまどきの社長(第4回)

          いまどきの社長(第3回)

          私は、ディー・ブレインの株主になってくれそうな人に声をかけることにしました。 まず最も身近で頼りになるのは、やはり父親です。 「お金を貸すんじゃないんだな。投資なんだな?」 といいながら、父は500万円を出資。 続いて、親戚と大学の同級生。一口50万円。資金の余裕がないから申し訳ない・・・と断られるケースもありましたが、7名から出資をいただき、その金額は合わせて400万円。 これで私の手元資金300万円と合わせて1,200万円です。 目標の2,000万円まであと800万円。

          いまどきの社長(第3回)

          いまどきの社長(第2回)

          1年間の運転資金のために必要なのは1千万円と見積もったところですが、何せ大手監査法人の看板を背負ってきたからこそ仕事ができた私です。その看板を失って仕事がとれるのか、些か不安でした。そこで経営コンサルティングのFC(フランチャイズチェーン)を探すことにしました。加盟金を支払ってノウハウを取得。コンサルティング会社のブランドも生かせます。 マッキンゼー、ボストンコンサルティング、船井総研、田辺経営など名だたるコンサルティング会社に片っ端から電話で連絡。しかし、FCを運営してい

          いまどきの社長(第2回)

          いまどきの社長

          あけましておめでとうございます!! さて立場上、いろいろな会社、いろいろな社長にお会いします。 私自身も公認会計士・税理士として会計事務所を経営しつつ、株式会社CFスタートアップスという会社の社長もしています。 私が最初の会社、株式会社ディー・ブレインを創業したのは32歳のとき。 1993年のことでした。 起業前は、大手監査法人のサラリーマン会計士。 監査法人の顧客は主に大企業ですが、私が対象としたかったのは日本に200万社もある中小企業。 本来、サポートを求めているのは、

          いまどきの社長