いまどきの社長(第10回)
いまの金融庁はコモンゲートと名付けられた近代的な建物に生まれ変わりましたが、当時の大蔵省は、その向かいにある歴史的建造物。いまは国税庁が入っている建物です。やや薄暗い重厚な雰囲気に飲み込まれ、私の緊張も最高潮です。
しかし、ここまできて、逃げも隠れもできません。
やっていることを、ありのまま堂々と説明しよう。そういう気持ちで、きっばりとこう答えました。
「インターネット投資マートでは、当社はサーバーのレンタルとディスクロージャーの指導を併せて行っています。登録企業が自ら株式の募集をする仕組みです。」
当時の証券取引法(現:金融商品取引法)で、証券免許が必要なのは、他社の株式の投資勧誘を業として行う場合であり、自分の会社の株式募集を禁止するものではありません。一定の情報開示を前提に、不特定多数を対象とする募集も認められています。特に1億円未満の少額募集(当時は5億円未満)については、情報開示も不要です。
「サイト上に登録企業規約も作ってあり、開示すべき内容や株式を自ら募集する責任などが示されています。企業はこれに同意をいただいて株式を募集しています。当社が投資勧誘を行わないことや、開示指導における責任なども明示されています。」
これを聞いたN課長補佐。しばらく空を見上げて、こう言ったのです。
「これは、うまいこと考えましたねー。これでしてら証券取引法違反とは言えないですね。」
その言葉に、一気に緊張が解けました。
しかし、ほっとしたのも束の間、その後、Nさんが言ったことに、驚愕することになるのです。
「しかし、出縄さん。これをこのままやっていると、知らない人が見れば、ディー・ブレインが無免許で証券業務をしているのではと勘違いしますよね…」
確かに、掲載記事の影響もあり、電話でのお問い合わせの中には、法令違反を心配する声も少なからず、ありました。私が、軽く頷くと、
「どうでしょう?正々堂々と証券免許をとって証券会社としてやろうとは思わないんですか?」
当時の日本の金融行政は「護送船団」とも言われ、作らせない、潰さないのが方針でした。過去30年間、銀行の子会社と外資系を除き、新設の証券会社は一社も生まれていない時代です。
面食らった私は、これもまた正直にこう即答したのです。
「とんでもありません。証券会社をつくるなんて、そんな大それたことは考えたこともありません。」
Nさんはどうしてあんなことを言ったのだろう?釈然としない思いを残したまま帰路につきました。帰るとテレビのニュースでは、当時の橋本龍太郎総理が打ち出した「金融ビックバン」を解説者が語っています。英国ではサッチャー政権が大胆な金融の規制緩和を行い、ロンドンのシティが過去の栄光を取り戻したとの評価で、日本もこれに倣おうという政策です。
(待てよ、規制緩和でひょっとしたら証券会社が作れるようになるのでは?)
その翌日、宇都宮での仕事の帰り。悶々として居ても立っても居られなくなり、新幹線を大宮で下車。駅の公衆電話から、大蔵省のNさんに電話したのです。
「すみません。昨日のお話しですが、証券会社って作れるんでしょうか?」と少しうわずった声で、いきなり質問しました。
すると、Nさんは落ち着いた口調で、
「出縄さん、証券取引法を読んだことがありますか?第3章は証券会社という章でして、そこには証券会社の新設手続きが書かれています。我が国の法律に書かれているのですから、その通りにやれば、できるのは当たり前でしょう。」
日本はある意味、行政規制大国。法律ではできることになっていても、行政が規制していてできないことが沢山ある国です。Nさんのこの言葉は、証券会社の新設を実質的に認めて来なかった暗黙の規制を撤廃することを意味するようにも思えます。
そこで、続けてこう聞きました。
「なるほど。証券会社を作る場合には、具体的にどのように進めれば良いのでしょう?」
「証券免許の要件も詳しく法令に示されています。大きくは資本金要件と人的要件です。それらを含めてどのように証券業務をやるのか計画書を作って見せてください。」
資本金の要件は最低1億円。人的には、証券業務の経験者が必要です。私はしばらく時間が欲しい旨を伝えて電話を切りました。
本当に証券会社などできるのだろうか?突拍子もないことにも思えますが、本当にできるのであれば、中小企業にエクイティファイナンスを広がる社会的な意義は大きい。まずは、自分自身を納得させるためにも、とにかく事業計画を作ってみることにしたのです。(つづく)
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