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いまどきの社長(第6回)

当時、日経新聞を賑わしていたのはインターネットの普及に関する記事。とはいってもまだナローバンドの時代。楽天もAmazonもない。ホームページを作っただけで記事になるような時代でした。

営業コンサルティングを中心としていたディー・ブレインでしたが、このとき漠然と思ったのは、きっとインターネットを活用して売上を伸ばす時代が来るであろうということでした。

そこで考えたのがインターネット・ビジネス・コンサルティング。インターネットでコンサルティングを行うのではなく、インターネットをビジネスに活用するコンサルティングです。とはいえ、ディー・ブレイン自身もインターネットを使っていない。まずは米国にサーバーを借りて実験サイトをつくることにしました。
最初につくったのはパートナー募集のサイトです。1995年12月のことでした。

多くのコンサルティング会社ではコンサルタントを採用しても優秀なコンサルタントほど辞めて独立してしまう。であればそもそも外部のコンサルタントに業務を委託した方が良いのでは、という発想で「プロフェッショナル・パートナー」とい外部コンサルタントを募集することにしました。
大手コンサルティング会社の強みはブランドと営業力。独立したコンサルタントは力はあっても顧客開拓に限界があります。そこでディー・ブレインでは代理店制度も発足しました。中小企業に対して開拓力をもつ独立保険代理店などを対象に「ストラテジック・パートナー」の募集も開始。
サイトでは「年収1千万円への道」と謳ってみました。

ちょうど東洋経済がベンチャークラブという新しい雑誌を出版。ネットワーク情報というコーナーがあって自由に情報を投稿できる仕組みとなっていました。クライアント開拓のパートナーと、コンサルタントのパートナーの両方を募集する記事を掲載。日本公認会計協同組合のDMを通じてセミナーも開催。セミナーには公認会計士30名ほどが集まりました。

しかし、雑誌やDMの反響に比べると、WEBサイトの方の反応は寂しいものです。掲載してから1ヶ月。年も明けて、インターネットでの告知はやはり難しいのかな~と思い始めた頃です。一本の電話が入りました。電話の先は軽やかな男性の声。「日経新聞のMと申します。ホームページを拝見したのですが、一度、取材をさせていただいてもいいでしょうか?」
この電話こそ、その後のディー・ブレインの運命を大きく変えることとなったのです。

(つづく)


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