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高校中退するまでを振り返る

※10月毎日投稿挑戦中。月曜は『 #失敗人生を振り返る 』。

 当方128。男。36歳。某小売業の平社員。独身。

 今の自分を一言で言うなら「喉が乾いたときにはもう水は無い」。

 人生とは何か、最近よく考えてしまう。今までも、そしてこれからも、永遠に苦労を重ね、辛い思いを抱えながら生きていかなければならないのか。

 どうしてこうなった。あの時あの選択をしていれば、幸せな今を過ごせていたのではないか。せめて、これから大人になる皆様には私みたいにならぬよう、この先訪れる選択肢は少しでも良い道を選んで欲しいと切に願う。選択の参考になるかは分からないが、一つの失敗例として私の人生を振り返るシリーズを始動する。

 1回目の今回は、成績優秀だった中学時代から、高校で落ちぶれ中退するまで。

1.学力とコミュ力が反比例した中学時代

 生まれは東北の某所。小学校時代はほとんど覚えていないから詳細は省くが、学研に通っていたこともあり学力はそれなりに良かった。人生最初の選択は「中学受験をするか否か」だった。と言っても自宅から通える範囲で入試のある中学は偏差値55の某大学附属中のみ。3人に2人が落ちる驚異の高倍率。そこを受験するか、何もせず公立中に入るか。私は後者を選んだ。

 人生の選択は最初から既に間違っていた。学区の関係で入らざるを得なかった公立中は、クラスの男子の半分が不良だった。彼等は授業中に紙飛行機を飛ばして盛り上がるなど、荒れに荒れていた。担任の女性教師は号泣し、翌年教育センターに異動となった。

 私の成績は“学内では”優秀だった。215人ほど居る学年で最高15位にまで上り詰めた。数学と英語は90点超えがデフォで、次点で国語も好成績だった。

 その一方で人付き合いは大の苦手だった。友達を何人も失った。加えて前述の不良からいじめを受けていた。正直、学校に行きたくはなかったが、かといって休む、不登校になる選択肢は脳内に全く無い真面目人間だった。

 いじめは何人もの協力のおかげで中3の夏前にはほぼ無くなっていたが、いじめと友達を失った経験は「人間、勉強だけ頑張っても駄目」という結論に辿り着き、勉学に命を懸ける意味を失ってしまった。理科と社会の暗記科目は苦手だったが克服しようとせず、当時通っていた学習塾では順位は常に下のほうで、塾長に何度も怒られた。結局、受験直前になっても第一志望のA校はD判定だった。

 そのA校出身の両親、特に母親が「中途半端な公立に入るのは許さない」と豪語していた。県内1位のA校は偏差値70、2位は65、3位は63。
1位と2位に開きがあり、母親は2位すら入るなと言っていたのに、私の最終的な成績では3位がやっとだった。3位は進学校ですらなかった。

 そこで、次元の違う「高専」というものを母親に勧められた。「当方君なら向いているかもしれない」という担任教師の助言もあり、受験を決意。なんと受験者の中で成績1位という文句なしの合格を果たした。

2.高専入学という人生最大の失敗

 高専に入ってからは、全てが上手くいかなかった。

 中学時代に友達を失ったトラウマはかなり大きく、人付き合いに積極的になれず、友達は全く出来なかった

 学力も急激に下がった。数学や英語さえも30点台に落ちぶれ、専門科目は0点すらあった。受験でトップ合格なんて何の意味もないことを証明してしまった。

 機械を動かせなかった。操作が複雑で、手順の説明を聞いても頭に入ってこなかった。
 化学実験さえもろくに出来ず、グループに迷惑ばかりかけた。
 大好きなPCの授業も、プログラミングでいきなり挫折した。
 製図の授業も嫌だった。
 剣道の授業すら辛かった(なぜ高専に剣道という科目があるのか)。

 高専の何もかもが嫌になっていたところに、体育の「グループを作って下さい」でとどめを刺された。ぼっちの私は何もせず突っ立っているだけに終わり、メンタルは完全に崩壊した。

 それがきっかけで11月の半ばから授業をサボることが多くなり、やがて不登校になった。中学時代はどんなにいじめられても風邪以外で休むことは一度もなかったのに、とうとう私は真面目ですらなくなってしまった。このままでは進級できるかさえも危うい。

「学校を辞めようと思っています」

 12月、当時通っていた予備校の講師に相談した。

「俺も高校時代、友達は出来なかったよ」

 講師は自分の過去を語り始めた。高校は一浪して入ったので、年齢が一つ上であることにクラスの皆は違和感を覚え、誰も友達になってくれなかったのだという。それでも浪人生時代に学んだ効果的なノートの取り方をクラスメイトに伝授することで、友達とまではいかずとも会話を交わす相手はいたことで何とかメンタルを保ち、辞めずに3年間通い続けることができた。

 それまで私は、コミュ力は持って生まれた才能で、友達が出来るか否かは運にも左右されると思っていた。しかし講師の話を聞き、コミュニケーションに最も必要なものは努力なのだと感じた。講師は私に考え直して欲しかったのだろう。しかし、16歳の私にとっては越えられない高い壁だった。結局冬休み中の1月に高専を中退した。1年すら持たなかった。

3.反省会と伝えたいこと

 今回の振り返りはここまで。ここからは何がいけなかったのかを反省し、学生の皆様に伝えたいことを書く(長くなって申し訳ない)。

 まず中学受験をせず、不良の多い公立中に入ってしまったのは仕方ないとは思う。11歳でそこまで考えて選択するのも難しいだろう。

 次に、友達が減ったことといじめについて。私は無理してでも休まず通ったが、少なくとも中学は(小学校もだが)辛くなったら無理に通い続ける必要は無いと今では思う。要するに不登校になっても良い。こういうことを書くと「内申点ガー」と言う人が出てくると思うが、不登校の理由がいじめであれば高校側もある程度は考慮してくれる場合もある(高校によるので詳細は中学の先生に確認する必要があるだろうが)。

 そもそも内申点を捨てて受験本番の点数に一本賭けしたって良いのである。本来学校で過ごす7~8時間を勉強に充てられるのだから効率的ですらある。私の通っていた塾の生徒にも一人だけ、学校に通わず自宅と塾で勉強しまくり、本番で5教科合計450点以上取って県内トップの高校に合格したという前例がある。

 それよりも、中学の出席日数にこだわるあまり、そこで味わったトラウマが後々の人生にまで響いてしまうほうがよっぽど問題である。つまり私のことである。高校は留年制度があるので絶対に不登校になれないのだから、高校で失敗しないために中学を捨てるのは、むしろ先を見据えた聡明な選択とも言える。

 そして、中学校内での学力や順位は過信しないで欲しい。言ってしまえば中学の勉強は「簡単」である。中学で学年上位だからといって「自分は勉強ができる」と勘違いしないでほしい。高校で難易度がぐっと上がり挫折する可能性は大いにある。参考までに中学数学と高校数学の違いを引用する。

たいていの凡人高校性は、数学で挫折する。
中学とは格段に違う、数学の高次概念についていけないのだ。
「ベクトル」、「一次変換」、「数列」、「級数」、「三角関数」、「微分」、「積分」と新概念、つまりは仮説が次から次と出てくる。
実体概念思考になじんできた中学生時代と違い、数学の本質である仮説思考の世界に一気に突入するのである。
操作的アプローチでなんとか見よう見まねで処理方法だけはつかめても、結局仮説思考に転換できなければ、数学の思考はできない。

『教えて!goo』より

 最後に、一番言いたいのは「工業系に興味のない人は高専に入ってはならない」ということである。高専は生半可な気持ちでは務まらない。「県内トップの高校に入れないから高専を選びました」なんて舐めた選択だけは絶対にしないで欲しい。工業高校など他の専門系高校にも同様のことが言える。


 高専中退後も失敗を繰り返すわけだが、続きは次回(来週月曜更新予定)。


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