2時14分の屋上
授業を無断で休んだのは初めてだった。月曜の5限はいつも屋上で本を読んでいる君に、今日だけは会いに行きたかったから。
「もう、また数学サボってこんなところにいる」
「なんだ、先生じゃなくて佐々木か。読書の邪魔をしないでくれ」
君は野球部の部室から持ち出したベンチコートを身に纏っていた。
「ここんとこ毎週だよね。もう先生に言いつけるよ」
「それを実行するのは不可能だ。何故なら佐々木も一緒に怒られるから」
「わ、私はサボっている生徒の様子を見に来ただけよ、風紀委員として」
木枯らしに揺られる長い髪をかきあげながら私は言った。本当の理由は違うのに、君の前ではいつも意地を張ってしまう。
「寒そうに見えるが気のせいか? コートも着ていないし、両手に白い吐息を当てているし」
「さ、寒くないに決まっているでしょ! タイツは二重履きだし、中にヒートテックも着ているんだから」
私は君の前では素直になれず、いつも思いとは“反対”のことを口にしてしまう。
「髪、お団子にしたんだ。僕のアドバイス通りに」
「べ、別にあんたの言うとおりにしたんじゃないんだからね」
「やはり僕の仮説は正しかった。ミニスカートと相まって可愛い感じになっている」
「ちょ、ちょっと、からかわないでよ」
***
私は田舎の中学にいた頃は、自分の顔面に自信があった。両親はもちろん、クラスメイトの誰もが可愛いと言ってくれていたからだ。
それが井の中の蛙であることに気付かされたのは、東京の高校に進学して間もなくだった。
「佐々木って不細工だよな」
男子のヒソヒソ話を聞いてしまった。すぐさま手洗い場に行き、鏡を見る。そうか、これが不細工の顔なのか。何だよ可愛いって、田舎の中学の奴らよ。毎日見慣れているはずのその顔は涙でぐちゃぐちゃになり、まるで私ではない別人のようだった。
「女子が女子に対して可愛いと言うのは『私のほうがもっと可愛い』という意思表示である」
君は泣きじゃくる私に唯一手を差し伸べてくれた男子だった。数学を除けば成績優秀な君は、ただ知識をひけらかしたかっただけなのかもしれないが、
「中学の女子たちのことは許してやってくれ。悪気があったわけではなく、無意識のうちにそれをやってしまっていたのだろうから」
君の見解はいつも的を射ていたので、時には私を救う励ましの言葉にもなっていた。
「アイプチで二重にすれば可愛くなるのでは」「眉はもう少しだけ細くしたほうが」「カラコンを付けてみよう」「コンシーラーを馴染ませてからファンデーションを塗ればシミを隠せる」
そして君は、不細工で悩む私の為に可愛くなる方法を色々と調べたり、その頭脳で論理的に導き出した。単に問題解決の為に行動することが好きなだけなのかもしれないが、君のアドバイス通りにやるだけで私は変われた。
「4月の頃に比べれば随分と可愛くなった。人間の進化の過程を見ているようだ」
「そ、そんなこと無いわよ、大袈裟な」
私は君に恋心を抱いた故に素直でいられなくなり、思っていることの“反対”ばかり口から出してしまう。ここまで助けてくれたのに、まだあの5文字を面と向かって一度も言えないまま2月を迎えてしまっていた。
***
「ところで、左手に持っている紙袋は何?」
「あんたには関係ないものよ……うわっ」
(ピュー)
屋上の風は更に強さを増していた。
「寒くなってきたから、コートを返しに部室に行く」
「待って!」
2月14日、午後2時14分。
君の鼻の右の、私よりも白く透き通る肌めがけて、唇を優しくぶつけた。
――キスの“反対”は、好き――
「ありがとう」
呆然する君を横目に、その5文字だけ言って走って逃げる私。
(チョコレート、渡しそびれたじゃない)
(Fin.)
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