それ、ちょっと違うのでは?
[エッセイ編]
タイトルがない
タイトル含めての、作品だから!
タイトルがぎゅっと全体を締めているから!
タイトルないとかありえないから。
それ、ただの日記じゃないの?
描写がない
描写があるから、文章に奥行きが生まれるんだよ。
エッセイとネットで調べると「自由に書け」とか書いてあるけど、優秀なエッセイは描写も上手。また、自分の言いたいことを、描写からめて表現するのがうまい。
これがいわゆる「ネットには知りたいことが書かれてない」の典型。
描写がないって、それ、ただの「今日あったことの羅列」じゃないの?
エピソードのパンチ力だけに頼っている
だから、最後どうなったか覚えてないんだよね。
あまりにつかみのエピソードが強すぎて。
書き手の「自分の言いたいこと」を忘れてしまったよ。
そもそも、なにか主張、書いてあったか?
それ、単なる「ちょっといい話」じゃないの?
「読み手」を意識していない
小説なら、湧き上がるリビドー、綴らずにいられない才能を、思いのまま書けばいい。自分の世界を、書きあげるのだ。他人におもねる必要はない。今はおもねるケースも多いが、基本的にフィクションとはそういうものだ。
しかし。
エッセイは、ノンフィクションである。
「他人に読んでもらうもの」という意識がないと、ただのひとりの男、または女の日常だ。つまらん。だから何? つかみはいいけど記憶に残らないなあ、となってはいけない。
だから、「読み手」「読者」を意識して書く。
テンポよく、わかりやすく、情景を描写することもあれば、隠喩や暗喩も、とにかくすべて総動員して、読者に興味を持ってもらい、読んでいただく。
それだエッセイだ。
それ、単なる雑記、雑文じゃないの?
企画力を感じない
エッセイは、短い単行本と同じ。「企画」がすべて。
「企画を効果的に見せるための工夫」がすべて。
「企画したエッセイ、書いてます?」
たぶん、9割以上の人は、意識していない。
企画については、また今度。
それ、単に、書きたいこと書いてるだけじゃないの?
これらの文章は、通常、出版の世界では「エッセイ」と呼ばない。
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