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躁鬱が気ままに30日間、note投稿して気づいたこと。

気ままにnote投稿を初めて、1ヶ月が経った。

最初は「1ヶ月も連続で投稿できるわけない」と思っていたが、気づいたら毎日1本書くことが習慣になっていた。

今回はそんな1ヶ月のnote投稿で、感じたことを3つ紹介したい。

「note読んだよ」の一言がめちゃ嬉しい

note投稿は自分のために始めた。
自分の感情を言葉にすることが、躁鬱にも良いと本で読んだからだ。

でも、
「この記事に出会えてよかったです」
「朝刊みたいに、毎朝楽しみにしてるよ」

なんて言われたら、そりゃ嬉しいに決まってる。

久しぶりに連絡を取った友達からも「note読んでるよ」と言われ、近況報告が終了した。笑


自分のためとはいえ、誰かのリアクションがあったから、1ヶ月も続けられた。わざわざ連絡をくれた方々、いつも読んでくださっている方々、本当にありがとう。

人生のアルバムを作っている気分になる

noteには自分の心が動いた瞬間や、自分の考えを書くわけだが、それが溜まっていくと、「ああ、自分ってこんなことを考えていたのか」と客観視できるようになる。

これが人生のアルバムを作っているようで、楽しい。

感情を言葉にするので、日々心の動きに敏感になる。
「自分が何に感動するのか」「何を不快だと思っているのか」
一つ一つの感情という写真を切り取って、noteに保存していくイメージ。

もし誰にも読まれなくても、自分で読み返して、
「あのときこんなこと感じていたんだなぁ」とニヤニヤできる。
つむいだnoteは、未来の自分への手紙だ。
それだけで書き続ける価値があると思う。

自分で書いて、自分で笑えたから、続いた。

正直1ヶ月間、あっという間だった。
なぜあっという間に感じたか。それは楽しかったからだ。

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深夜、暗い部屋で腰の痛みに耐えながらキーボードを打って、自分で書いたものに自分で少し笑う、それが「書く人」の生活である。

参考にしている、書き方の本。
僕も自分で書いた文章を読み返して、何回ふふっと笑ったかわからない(気持ち悪い

最初にその文章を読むのは読者ではなく、自分。
1ヶ月続けられたのは、自分で読んでいて、「面白い」と感じられたからだ。

ターゲットなど想定せず、自分が面白いと思う文章を、楽しみながら書く。そしたら、たまに誰かが喜んでくれる。こんなにいいシステムはない。
やはり続けるコツは、自分が楽しむことだ。

次の目標

1ヶ月間とても楽しかった。次の目標はこれを3ヶ月継続させることだ。
(来月から教育実習もあるので、そこは臨機応変に)

書くことを継続して、いろんなチャンスを掴みたい。
旧友から連絡が届くかもしれない。
新しい出会いを運んでくれるかもしれない。
自分がまた何かに挑戦するとき、力になってくれるかもしれない。

淡い期待を抱きながら、今日も筆をとる。

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