言えなかったこと。
忘れもしない。
高校生の時、韓国語の授業があった。
その授業では、生徒は1人ずつ立って韓国語で例文を読む場面があった。
「わたしは日本人です。」
不思議だった。全員が、この例文を読まされる。
わたしは、エジプトと日本のハーフだ。
エジプト人だ。とも、日本人だ。とも言えない。
嘘ではないけど、本当でもない。
先生は、ここには日本人しかいない、と思ってるのか。
大げさに聞こえるかもしれないけど、
嘘を強要されたような気がした。
日本人でないと受け入れない、と言われたような。
胸のあたりがきもちわるかった。
わたしだって嘘をつくことくらいある。
でも、これは自分の意思で選んだことじゃない。
ちがう、と思ってることをクラス全員の前で言わなきゃいけないのが、すごく嫌だった。
もしも、わたしが抗議したら先生はどんな顔をするんだろう。なんて想像しながら、やり過ごした。
時は変わって大学生のとき。
フランス語の単位を落として、一つ下の学年で再履修した時のこと。
今度は例文が印刷された、プリントが配られた。
「わたしは日本人です。
わたしは18歳です。」
またか。また言わされるのか。
しかも今度は年齢も。
こういうとき、学生に拒否権はない。
精いっぱいの抵抗は、「わかりません」と言うこと。
でも、「わかりません」と言うと、ヒントを出したり途中まで言ったりして、なんとか答えを言わせようとしてくる。
それが、日本の教育のやり方なんだろうけど、
そうじゃないんだ。答えたくないの。
そう言いたいのを飲み込んだ。
わざわざ集団で勉強する意味はあるんだろうか。
辞書を引けばわかることを、先生に教わる意味は?
そう思って、授業に期待するのはやめた。
同じ時間に1人で別室で勉強したりして、好きなように勉強するようになった。
それでも、出席しないとダメな授業もあって、
もうわたしには学校は向いてないんだな、と思って卒業するのは諦めた。
みんなとちがう、ということは、学校では受け入れてもらえない。
みんながもうちょっと想像したら、わたしのように感じる人は少なくなると思う。
ずっと言いたかったけど言えなかったこと。
あたりまえかもしれない。
でも、あたりまえがしんどい人もいるんだよ、って話。
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