僕は5歳の頃の自分への約束を無意識で守り続けていると気付いた話
こんにちは、きみです。
自分らしさって実はかなり幼い頃に無意識に確立されている。大人になるとなんやかんやあってそいつを忘れてしまっている。今日はそんなお話を僕とバイオリンとの関わりでつらつら書いていこうと思います。
あなたも自分の幼い頃を思い出しながら、一緒に走馬灯?(別に死ぬ直前ではないんだけど)を味わいつつ読み進めてもらえたら嬉しいです。
0.バイオリンとの出会い
僕のバイオリンとの出会いは6歳になるほんの少し前からになります。
当時住んでいた近所にバイオリン教室?音楽教室?があったみたいで、母に連れられて見学に行きました。母は僕に音楽かスポーツをやらせようと思っていたようですが、小児喘息で身体が弱く幼稚園でも1、2を争うくらいの鈍足で、スポーツ向きではないと判断したそうです。
音楽教室では、同じくらいの年齢の子どもたちが楽しそうにバイオリンを弾いているではないですか。その場面の映像は今も脳裏に鮮明に残っているくらい衝撃でした。
こんな楽しそうな世界があるのか!?
当時の感覚を言葉にするときっとこんな感じだったと思います。
「バイオリン弾くことはめっちゃ楽しいんだ、やってみたい!」子供ながら至極単純で、しかし純粋な思いが動機でした。
音楽の中でもなんでバイオリンになったのかというのは、母が小学校の頃5〜6年習っていたから好きだった、ということみたいです。
わりとライトな動機で始めたバイオリンでしたが、これがまさか地獄の日々に足を踏み入れていたとは当時の自分には全く想像もできませんでした。
1.スパルタンな環境を耐え抜く
楽器を構えるときはこうしなさい、足はこの角度で弓の持ち方はこう!そもそもバイオリンって人間の身体の動きに対してめちゃくちゃ不自然な格好を強いられる楽器なんですが、6歳前後の子供にその理屈が理解できるはずもなく、意味も分からず型にはめられる。そんなんで動けるかーい!みたいなね。
できたとしてもその格好を数分維持することすら困難で、「できない!」って言うと「できないって言うな!」「何回言ったら分かるんや!」みたいにしてシバかれ毎日泣かされる。
音程が違えば「違う!」と言われる。弾いてる自分は違ってることが分かってないんですよね。だから「合ってた!」みたいになる。
まぁそもそも自分が素直ではないって話もありますけど😃
原理原則を知って理論的に納得できないと聞けない!素直にやってみろって言われても意味が分からない!みたいな自分の性質がひとつ。
あとこれはちょっと深い話ですが、小児喘息で文字通り呼吸するのに苦しむ時間が長かったので、「普通に苦しくない呼吸ができる肺と気管支が欲しい」というのが子供の頃の一番の願望。ところが、残念ながらそれを叶えてくれる人は誰もいないわけです。
そういう意味では周りの人間、たとえ親でも心から信頼し安心することがなかったように思います。
で、スパルタンなシゴキが始まるわけで、子供ながら潜在意識下では、「一番の願望を叶えてくれない人がさらに追い打ちかけるように自分をシバくなんて冗談じゃない!なんで脅迫されるようなマネされてまでやらなアカンねん!そんなだったら放っておいてくれ!自分で好きなようにやらせてくれ!」って感じのことが脳内で流れていたんだと思います。
ちなみに、自分で音がズレたってことが認識できないって謎は15歳になってやっと解けました。
演奏者は演奏に脳を使っているので、自分の出している音への認知能力は視聴者より圧倒的に下がるのである。
ある程度研鑽を積んだ楽器経験者やスポーツをやっていた人ならば絶対に分かっていただけると思います。
それでも不思議と「辞める」と言わなかった。成長は遅かったけどそれでも細々とは続けていた。親から「嫌ならやめても良いよ」と言われても続けてた。僕は別にドM気質ではないことは間違いないんだけど・・・(笑)
2.急激な環境変化がやってきた
父の仕事の関係で2年ほどアメリカに渡ることになった。当時14歳。英語自体は学校で習ってたけど、30年以上前である。
今みたいに実践的な英語教育は皆無。当然英会話なんぞまったくできなかった。そんな時にバイオリンを通しての音楽が自分と現地の人たちとの「共通語」になったのである。
教育システムの大きな違いもあった。一般的な日本の高校では大学のように取りたい授業を自分で組み合わせるというようなことははほとんどない(と思う。知らないだけかも?)
まして「オーケストラ」なんて授業がある普通の高校は当時は聞いたことがなかった。
さて、オーケストラの授業はいろんな意味で僕にとって現地の学校で生き抜く生命線となった。加えて5歳の頃バイオリンを始めたきっかけである「なんか楽しそう」が一気に息を吹き返したのである。
同じような年齢の人たちが楽しそうに、そして自分よりも圧倒的に上手く演奏している光景がそこにはあった。
まさに5歳のときに母に連れられて行った音楽教室での感動そのものであった。
日本にいた頃は個人レッスンばかりで、同じような年齢の子供達に会うのは年に1回の発表会くらい。少しは刺激になっていたのかも知れないが、正直感動はなかった。
話を戻す。
渡米当初、バイオリン自体は8年以上習っていたが、はっきり言って超下手くそだった。
それが毎日刺激を受け続けるのだ。もっと弾けるようになりたい!もっと楽しくなりたい!と。
正直英語の勉強よりもバイオリン練習してる時間の方が圧倒的に長かった。調子に乗ってクラブ活動で弦楽器アンサンブル、習っていた現地の先生が指導する市民ジュニアオケ、と3つをかけもちした。
2年後、気付いたらめっちゃレベルアップしていた。住んでいた州のジュニアオーケストラのオーディションに受かるくらい弾けるようになっていた。(バイオリンパートは500人くらいの志願者で、合格者は46人中、ギリギリだが41位で合格)
周りは「将来バイオリンのプロになるの?」と言っていたらしい。まぁそれも数年後その鼻をへし折られることになるわけだが・・・
3.ついにやめちゃった
日本に帰国後、普通の高校の生徒になった。当然オーケストラなんて授業はありません。一応週1でレッスン受けてましたがこれまた全く楽しくないわけで。
先生との相性も良くなかったんだと思う。なんというか、練習方法や曲の解釈とかも「こうあるべき論」が多くて、押し付けがましいというか、めんどくさいというか、弾くことがどんどん楽しくなくなっていった。
その先生主催の発表会にて。演奏する曲を「何かしっくりこない」状態で舞台に立って弾いたら、人生で初めて舞台上で緊張するわ、大失敗して途中で止まってしまうわで散々だった。
なんでバイオリン続けてるんだ?俺。
通学も遠いところで疲れるし、でも学校もつまんないし、つまらんことだらけやん。音楽が楽しくないって、それ音楽ちゃうやん。
ということで、11年続けてきたけど辞めちゃいました。
4.オーケストラって楽しいところ・・・のハズじゃなかった?
紆余曲折を経て、現役生から見たら3年遅れて大学進学。サークル活動の一覧を見ると、やっぱりありました、「オーケストラ」
少々ブランクがあるものの、アメリカで当時、一般高校生にしてはかなり上手かったはずだし、何より「オーケストラ」の経験は一般人より濃い!
絶対に活躍できる人材であるのは間違いない!
みたいなちょっと自意識過剰な勘違い野郎がサークルに乗り込んでいきました(笑)
そこには・・・
おまえら本当に心から音楽を楽しんでるの?人のこと言えないけど大した演奏力でもないのに理屈ばっかりプロっぽいこと言ってて恥ずかしくないの?
そもそも「学生オケだからこそできることをやりたい」なんて理念掲げてるけど、出てる音はリタイアしたじーさんばーさんみたいやで?
お勉強してきた優等生が、「あるべき論」に窮屈に縛られて小手先で楽譜に書いてあることをロボットのように演奏しているだけ。
そんな空気感が蔓延しているように感じた。
今思うと僕の方が変人で、優等生達にはそれが自分達の楽しみ方だったんだろうけどね。入学してすぐに、その理論武装に対して跳ね返せるだけの演奏の実力がなかった自分も口だけ野郎になってた。
あるイベントではムカつく卑怯なやり方で自分の希望を潰された。
同年代の仲間が楽しそうに楽器を奏でている集団。それがオーケストラであると思っていた僕の期待は見事に裏切られたと同時に自分の鼻っ柱も見事にへし折られたのである。
だけど、若気の至りっていうのかな?反骨精神っていうのかな?このオーケストラを絶対に変えてやる!音楽はもっと楽しく自由なものだ!って自分勝手な使命感みたいのが生まれた(笑)
自分の演奏力を周りが十分納得するくらい向上させようと、これまた勉強するより楽器弾いてた。
4年生時にコンサートマスター就任からはメンバーに「楽器の響かせ方」、「音の飛ばし方」にこだわって、でもそれができると楽しいよね!って感じで(ありがた迷惑も考えず)教えていた。
ちょっと布教活動じみてたかもw
演奏会の選曲についてもかなり強引な手段を使った。正直半分ゴリ押しw 小理屈こねるような曲はアカン!もっと分かりやすい、かつ各個人の力量を最大限出せるような曲が今このオーケストラが選ぶべきものなんだ!みたいにしてね。
ここまで書いてて思ったけど、結構傲慢で迷惑な奴やな、自分😅
ってことで、自分より上の学年の奴らには9割嫌われていた。そりゃそうだよな、相手の在り方楽しみ方を真っ向否定してんだから。
同学年も味方は2割いたかな?
ただ、後輩にはウケが良かったみたい。なんでかな?多分「未来を語っていた」からかな?
このオーケストラの潜在能力はやばい!絶対に驚くようなクオリティで演奏できるようになる!本当にみんなが音楽を心の底から楽しめる団体になれる!って感じで。
そして12月、定期演奏会は大成功した。
録画を見たときはマジで泣いた。当時、しょぼい数千円の15インチくらいのテレビデオしか持ってなかったんだけど、流れてくる映像と音には学生、というか、若者らしい、荒削りではあるがみんなが楽しみ、かつ各個人が持つ最大限の演奏力で音を響かせつつ調和されている姿が確かにそこにあった。
5.環境って大事だよね
卒業して社会人になって、しばらくはひとり細々と弾いてたんだけど、結局また辞めちゃった。
社会人で構成するアマチュアのオーケストラでも探して入れば良かったんだろうけど、大学時代の最初の2年がちょっとトラウマ的な。下手なくせにべき論人間の集団だったら面白くないな、って感じで。
あと、演奏会の曲目が自分的に楽しめない場合、それに付き合うなんてプライベートでやりたくなかったというめっちゃワガママな理由もひとつ。
もしかすると大学時代でちょっと燃え尽き症候群みたいになってたのもあるかも知れない。
そんなこんなで5年ほど休んでました。復帰するきっかけになったのが父の他界。遺産に形見となる「品物」がなかったので、新入社員の年収くらいする楽器を新たに買ってもらってそれを形見とした。
重い腰を上げて社会人のアマオケに入ってみたけど、どこの団に行っても長居しないで転々としていた。
どこの団に行っても、紹介文では「楽しんでいる」とは書いてあるけど、メンバーが演奏するときのオーラというか空気感が決して心から楽しそうに見えなかったんだよね。
社会人で働いてるし、練習時間もそんなに取れないからしゃーないやん?みたいな諦めの空気感があった。
少しだけ長居した団もあった。そこはみんな確かに上手かった。あちこちのアマオケでトップレベルの人たちが集まっていた。中には音大行っても十分通用するやん、て人もちらほら。
自分自身も楽しんでいたけど本質の部分でなにかしっくりこなかった。足のサイズが26cmなのに25.5cmの靴履いてるみたいな感覚。
加えて、月1くらいで学生の頃に習っていた先生のレッスンに通った。
相性が良かったから。「原理原則」みたいなこと、ちょっとした身体の動かし方のコツ、そんなことを的確に教えてもらえるのがとてもありがたかった。
ただ、高校生の頃に舞台上であがってしまう体質になって以来、その先生の発表会でも同様に緊張しまくって、自分の思い描いた演奏の50%しかできなくて悩んでた。
そんな日々を過ごしていたある日、近所の駅で買い物を済ませたあと、その駅にはストリートミュージシャンがいっぱいいるんだけど、明らかにオーラが違う、なんかすげぇ人たちが3人組で歌っていた。
歌唱力もレベルが違う、けどそれだけじゃない。
心の底から楽しんでいる。
5歳の時の感動。それがあった。
ちなみに僕はめっちゃ歌が下手です。カラオケ行ったら勢いで叫んで押し切る曲しか歌いません(←迷惑w)
だから歌じゃなくて、この人達と一緒に合わせてバイオリンを弾いてみたいと思った。
実は打算も少しあった。発表会は年に1回しかないから緊張する。なら場数踏めばいいんでないか?
すごい奴らとストリートライブしまくって楽しんで、ついでに場数踏んで緊張体質を治してしまえ!って感じでオーケストラ辞めてバンド活動にシフトした。
そしてこの出会いが新たな発見につながった。
6.表現者としての在り方と覚悟
ストリートライブだけではなく、ちょっと狭いバーとかでのライブも経験した。そんなあるバーでのライブ後、そこのママさんからのリクエスト。
「チャールダーシュ」って弾ける?私好きなんだけど。
クラシック音楽にあまり馴染みのない方でも「あ!聴いたことある!」って曲のひとつ。僕の中ではかなり弾き慣れた曲。
サクッと弾いてみた。
ママさんからの感想。「あなたの演奏はそんなもんなの?つまらないよ」
僕「😱😱😱😱😱😱」
ママさん「もっと内側から溢れるものを持っているでしょ?それが全く表現できていないじゃない。キッツイ言葉で言っているのはあなたには絶対もっとできると思っているから。もう一度弾いてみて」
ハッとした。「音楽を楽しむ」ことを全く忘れてしまっている自分に気付いた。加えて、自分から楽しんでいるものを全身で200%表現するから視聴者に喜んでもらえるのだ。
15〜16歳の頃、なんでバイオリン弾くのが楽しかったのか。なんで自分たちの演奏を聴いた人達が楽しそうに笑顔になっていったのか。
心の奥底に眠ってすっかり忘れていた感覚がそのママさんのひとことによって一気に吹き出したのである。
奇しくも「音楽とはもっと自由で楽しいものである!」っていう若い頃の青臭い自分の考えが、15年の時を超えて僕の心に蘇った。
いつの間にこうなった?オーケストラの仲間に悪く言えば忖度して合わせていなかったか?そのために自分に蓋をしていないか?
心の中に自分がギリギリ入るくらいの風船があって、空気が薄くなってもがいている状態から、その風船が割れて一気に開放されるってイメージ。
「バン!!!」って脳内で何かが弾け飛ぶ音が、本当にしたような気がした。
弾き直し。長年染み付いた癖は恐ろしく、表現したい音が出し切れない部分もたくさんあった。けど、最初に弾いた時より数倍ママさんは喜んでくれた。
「なんだ、やっぱりできるじゃない。全然違った。いまの演奏なら感動するわよ」
このことを思い出すと今でも涙が浮かぶ。事実書きながら涙が出る。
オーケストラを彷徨いながら、ずっと「何かフィットしない」違和感を感じていたが、まさかクラシックやオーケストラとは全く違う音楽の世界で、オーダーメイドした靴を履いているくらいの感覚になったのである。
同時に、「表現者として舞台に立つ覚悟」を学んだ。これはあるベテランのギタリスト(年齢的にはじぃさん)とお話したときのこと。
「俺は、20年前の方が圧倒的にギターは上手かった。世の中俺よりギターが上手いやつなんて五萬といる。だけど、プロは上手いかどうかじゃない。自分のギターの演奏力が50だとしたら、ギターは50、その他を合わせて100にも200にも1000にもする。いつでもその準備ができている。いつでも視聴者に喜んでもらえる。それがプロであり舞台に立つ者の覚悟だ。」
このようなことを語ってもらった。
ズッシリ重みのある言葉。感動しかなかった。
当初の目的であった、発表会で緊張して思った演奏の50%しかできなかった、も一気に解消された。ライブ活動して2年後の発表会では先生から、「なんか場慣れしてきたよね」なんて言われた。
しかしながら、残念なことに自分自身がこの「舞台に立つ覚悟」という言葉で自滅していった。自分にプレッシャーを与えすぎるあまり、弾くことが怖くなってきたのである。楽しさだけでは乗り越えられない壁があった。
そして僕は結婚というタイミングでこの舞台から逃げるようにして降りてしまった。
7.強烈な違和感から舞台に戻ろうと決意した
7年後のある日、封印されていたバイオリンのケースを開いたら、自分の中の強烈な違和感が爆発した。
そこには見るも無残な楽器の姿があった。
心の中で何度も父に謝った。
速攻でメンテナンスに持っていった。楽器屋さんに「ご無沙汰してます」って。
それと同時に爆発した違和感から、「鴨塾」というYoutube講演家の鴨頭さんの連続セミナーに申し込み、参加した。
その2回目の時、頭に浮かんだ企画。
1回目のセミナーの最後に「Yes!You Can」というタイトルで障害者の方々がその障害を乗り越えてスポーツをしていたり、ピアノを弾いていたりする映像が流れ、それに対して参加者でワークをするというものがあったのがきっかけでひとつの企画が思い浮かんだ。
セミナーには耳の聞こえない方がひとり参加されていて、手話の通訳さんが3人交代でサポートされていた。その人との「バイオリン演奏コラボ」である。
もちろんご想像通り、その方はバイオリンの経験なんて一切ない。当日いきなりバイオリンを持っていって、弾いてもらったのである。
2台楽器抱えて電車で移動するのめっちゃ大変だったのは秘密w
どんな企画かというと、その方が2つの弦を交互に同じリズムで弾いて、僕が葉加瀬太郎さんのエトピリカを合わせて弾く、というもの。
タネ明かしを最初にすると、昔テレビで葉加瀬太郎さんが実際に「全くの初心者でもバイオリンで合奏できますよ」という企画を丸パクリしたもの。
本題はコラボの話ではない。無謀にもこのコラボのために無理矢理時間をくださいと講師の鴨頭さんに直訴したときの会話である。
いいね教の教祖だ、みたいに揶揄されているくらいだ。企画を持ちかけた時に「いいね!」って言ってくれるみたいな浅く甘い考えだった。
昼食前に企画の話で時間くださいって言った瞬間、オーラが激変した。
「企画は分かったが、自分が演奏を披露したいだけじゃないのか?」
(まぁその通りやねんけど)
「ここに集まっている皆、それぞれ自分が披露したいものがある。もし俺がそれを許したら、俺はお前をえこひいきするってことだぞ?それがどういうことか分かるか?」
(確かに。集まっている皆のことまで考えてなかった)
「どのタイミングでどのくらいの時間なのか?提案するならそこまで考えたのか?」
(タイミングや時間について相手に遠慮して自分の考えを示せていなかった)
などの問いかけから始まった。
やべぇ、チビりそうなくらいビビってる。迫力がやばい。押しつぶされそうだ。フリーザが最終形態になって滅多打ちにされたベジータの気分だ。(伝わるかな?)
問いかけになんとかギリギリ受け答えをする自分。そのうちに
「でもバイオリン自体が特別だしな、時間は短く密度高くで。まぁやってみなよ」
最終的に許可がおりた。しかし昼休みは1時間。自分の考えが甘かった部分を一気に修正すべくコラボをお願いしている人に実際に楽器に触れてもらう。そりゃそうだ。リハーサルなしじゃ時間が足りないし企画の良さが十分活かしきれない。
時間に対する意識があまりにも甘い。これが最初に痛感したことだった。
始める時に考えていたトークの内容も圧縮した。余計な部分を削ぎ落とした。
スタートは昼食後すぐ。次のセミナーの内容に入る前の余興的な立ち位置。
企画自体は大成功した。盛り上げるためなのか、心の底からなのかは分からないが、鴨頭さんに「驚きを隠せない」リアクションをしていただいた。
あとから参加メンバーからも称賛、感動の声をたくさんいただけた。
思い出してみると、人生で一番緊張した時間だった。ライブ活動での経験が活きたといえる。
それと同時に感じたこと。講演と演奏、形は違えど日本一の講演家と同じ舞台に、わずか5分だが代わって立つのである。言い表せないようなくらい深い洞察力で、厳しさと優しさがどちらも想像できないくらいのレベルで共存した言葉を、僕に合わせて問いかけてもらった。
「お前は、この俺と同じ舞台に立つ準備と覚悟はできているのか?」と
7年前、逃げてしまった舞台。絶対にできる。昔できてたじゃないか。なぜ俺は逃げんたんだ?そんな生き方でいいのか?
自分の在り方を徹底的に見直し、再構築する。鴨塾の学びを通して一番の決意がこれだった。
8.まだまだ途中。永遠に途中。でも死ぬまで続ける
座右の銘、「楽しみながら成長し、成長するからまた楽しい」
これは僕とバイオリンとの関わりから生まれた言葉だ。
「楽しみながら上手くなり、上手くなるからまた楽しい」を作り変えたもの。
5歳の頃に自分と約束していたのである。「楽しそうにバイオリンを弾くのが楽しい。だから続けようね」と。
生きていながら、様々な環境、たくさんの人たちと関わり、気付いたらこの約束を守り続けてとんでもない厚みになっていた。
言い訳して辞めちゃったり、プレッシャーから逃げてしまったりもしたけど、宇宙のパワーとか生まれながらに課せられた使命とかじゃない。
自分自身の約束。自分の決意。原点に戻ってるだけなんだよな。
人は持って生まれたものがあり、死んでいくときにそこに戻っていく。なんてことを聞いたことがある。
僕にとってはちょっと違う感じ。
持って生まれたもの、実は自分で無意識に知っているのに生きているうちに忘れてしまう。自分らしさってそういうことではないかな?
死ぬ間際にならなくても、今この瞬間で思い出せるし、思い出したら自分の軸になってブレない生き方ができる。
軸となったものを徹底的に磨き上げ、積み上げ続けている途中で寿命が来る。
きっと幸せな生き方ってこういうことで、本当に実感するのが寿命が尽きる直前ではなんだろうね。
めちゃくちゃ長くなりましたが、もし最後まで読んでいただけた方、ぜひ「スキ」ボタンを押して行ってくれると嬉しいです😆
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それではまたお会いしましょう!
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